2014年04月30日

Foerster Complete solo piano music

チェコの作曲家、ヨゼフ・ボフスラフ・フェルステル(1859-1951)のピアノソロ作品を収録した4枚組CD。
タイトルにあるように、恐らくはフェルステルのピアノソロ作品が全曲収録されているものと思われる。
演奏はパトリシア・グッドソン [Patricia Goodson] というアメリカ人によるもの。

フェルステルの作風は、しばしばスメタナ=フィビヒの延長線上にあるものとして語られることがあるが、ことピアノ作品に関してはスメタナとはだいぶ様相を異にする響きである。しかしフィビヒからは比較的近い印象がある。フェルステル自身がボヘミアを離れドイツ圏にいたことも影響あるのだろうが、比較的ドイツ・ロマンの雰囲気の濃い響きを持っているためだろう。

フェルステルのピアノソロで最も早い時期に接したのは、「夢」Op.47 だった。叙情的な作品だったが、基本的に彼の作風は一貫してこの雰囲気から生涯外れることはなかったのだな、ということをこの4枚組を聴いて確認することになった。これは、近代フランス的な作風ととスラヴ的な作風に二分化したヴィーチェスラフ・ノヴァークとは異なる。

全曲で4時間を越える中から、最も印象的だったのは3枚目冒頭に収録されている、"A jabloně kvetly, Op.52" だった。
タイトルの訳が難しい。「そして、りんごの花は満開に」くらいが妥当な訳になりそうだが、もっと意を汲んで詩的な訳し方もあるのかもしれない。

何か、えもいわれぬ侘しさが染み入る作品の多いCDである。

音源情報:
cdmusic.cz
http://www.cdmusic.cz/inshop/scripts/detail.asp?kat=BRIL9283

amazon.co.jp
http://www.amazon.co.jp/Dreams-Memories-Impressions-J-B-Foerster/dp/B00FP45RLI/ref=sr_1_4?s=music&ie=UTF8&qid=1398789353&sr=1-4&keywords=Foerster
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2013年08月27日

NHK-FM:ホロヴィッツ変奏曲〜名盤を通して知る大芸術家〜

NHK-FMにて。
初回はもう終わってしまいましたが、聴ける方はどうぞ。

ホロヴィッツ変奏曲〜名盤を通して知る大芸術家〜

8月26日(月)〜29日(木)
[NHK-FM] 後2:00〜3:55
【司会】東涼子
【解説】満津岡信育(音楽評論家)
【ゲスト】伊藤恵(ピアニスト)

http://www2.nhk.or.jp/navi/detail/index.cgi?id=09_0151
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2012年04月08日

バーンスタイン:《キャンディード》ピアノ連弾版

大学の頃、当時参加していた一般の吹奏楽団の定期演奏会で、バーンスタインの《キャンディード》序曲を取り上げたことがあった。
元々アメリカの作曲家には、演奏した吹奏楽作品の作曲者として何人か知っているが、正直あまりピンと来るものがなかった。これはものの良し悪しよりも好みの問題に違いない、と思っている。
大体、私が好きな吹奏楽作家は、G.ホルストにせよ、F.スパークにせよ、はたまたR.ヴォーン=ウィリアムスにせよ、イギリス人だったりする。
そして、私が吹奏楽をやったのは、元々管弦楽法の実地経験を積むのが真の目的で、そういう意味では管弦楽団に席を置くべきだったのだが、いろいろな事情でそういうことになっていた。

さて、そういう経緯があって、楽団で件の序曲の練習が始まるときも、バーンスタインといっても有名な指揮者というだけのイメージしかなかった。が、実際やってみるとリズムの変化も面白い。如何にもアメリカ的な陽気さには少々ついていけないものを感じるものの、なかなか楽しい曲であることは間違いない。
「ピアノで弾いても面白いかもな。」と思って数年前に探したことがあった。その時は連弾版が以前出ていたことが分かったが、絶版になっているようだった。

しかし最近になって再版になったのか、Boosey&Hawkesから出ているのを取り寄せることが出来た。
序曲をはじめとして、《キャンディード》から10曲が C.Harmonによる編曲で収録されているもの。
大抵の音楽の場合、楽団の一プレーヤとして演奏に参加するより、ピアニストとしてピアノ版の全ての音を弾く方がリズムを取りやすいものだ。が、この曲はイレギュラーなアクセントがある上連弾であることも影響するのか、ピアノの楽譜にしては意外にリズムを取りにくい(特に冒頭)。どう考えてもホルンパートで参加していた方が楽だった。「俺、あの時こんなに難しいのやってたのか?」みたいな(苦笑)。

いつか合わせて音にしてみたい気もするが、本腰入れてということにはなかなかならなさそう。
当面はお遊びで部分的にでも、と思うが、誰かそのうち付き合って遊んでくれるかな。
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2011年12月26日

マリアーン・ラプシャンスキー氏のウェブサイト

スロヴァキア出身で、日本にも何度かリサイタルで来日しているピアニスト、ラプシャンスキー氏のサイトを見つけたのだが・・・・
なぜか2つも見つかった(?!)

Marian Lapsansky Homepage
Marián Lapšanský :: Official Website

どっちが御本家なんでしょうか?(^^;
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2011年10月26日

スメタナ:《祝典交響曲》第3楽章

以前、この作品のピアノ4台16手版の録音について触れたことがあったのではないかと思う。
原曲よりも優れているのではと思ってしまうような演奏であった。尤もこの楽章に関してはスメタナ自身の編曲によるものなので、そういうものかもしれないが。

ところで最近、この楽章のピアノソロ版の楽譜を見つけたので、入手してみた。
1935年に、 Fr. A. Urbánek社から刊行されたもので、編曲は残念ながらスメタナ自身ではなく、Fibich の楽譜の校訂などを手がけている、Karel Šolc であった。

1頁目だけ、取り敢えず音にしてみたが、4台16手版のCDで聴いたのとは、流石に随分と雰囲気が違っていた。
音の厚さは当然として、それとは別に、CDを聴いて聴いていたのとは雰囲気が違っている部分が幾つかあった。
これはやはり・・・大きな編成の方が面白く聴けそうだ、と言わざるを得ない気がしてきた。
なんというか、ピアノ弾きが一人で出せる程度では、音が足りない、そんな感じがするからというのもある。
Trioは流石に雰囲気があって面白いが、やはり厚い音の出せる編成が、この曲には合っているように思う。
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2011年07月06日

ヨセフ・スク氏の死に寄せて

チェコのばよりにすと、ヨセフ・スク氏がこの日、81歳で亡くなった。
http://www.asahi.com/showbiz/music/TKY201107080150.html

聴いて心地よく、彼ほど「芸達者」という言葉の当てはまる弦楽器奏者もそうそうなかったのではないか。
割と最近まで現役演奏家として活躍しており、しかも親日家であったという。
そんな彼の演奏を生で聴けなかったのは痛恨の極みであった。

スク氏の演奏に触れるきっかけとなったのは、フィビヒのヴァイオリン作品集のCDであった。




Fibich: Píseň beze slov (2 housle, klavír)
フィビヒ:2つのヴァイオリンとピアノのための無言歌(遺作)
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2011年06月19日

フィビヒ:《アルバムリーフ》 Op.2

以前某ピアノサークルでご一緒させて頂いていた方の一人(今でも別な形であるが連絡は取り合えるようになっている)から教えて頂いて、

 Slavic Miniatures (スラヴの小品集)

という曲集を入手した。
#注文して、届いたのが今日だった。
リスト・フェレンツの全集を出していることでも有名なハンガリーの出版社、Editio Musica Budapest が出版している。
「あれ? ハンガリーって、スラヴ民族国家だったっけ? 住んでいるのはマジャール人だったのでは? それがどうしてスラヴの曲集を?」
・・・という、若干どうでも良い疑問を感じつつも、この曲集の新刊が手に入ったのは有り難かった。
というのも、現行の楽譜では、ABRSM(英国王立音楽院)が出している曲集と、Editio Supraphon(現在の Editio Bärenreiter, Praha)から出ている曲集に、それぞれ2曲ずつくらい載っている程度で、これまでお目に掛かっていない曲もあったし、更には古書でも見つからないからであった。

5曲で構成されているが、どれも1頁程度の短い曲ばかりだ。
輪唱風の終曲 "Epilogue" は、上述のABRSMの曲集に入っていたから、10年以上前に弾いていた。輪唱風というのは、ピアノ曲としてはちょっと変わったアイディアのようにも思える。何となく物寂しげな雰囲気の曲である。

さて、この作品の第3曲に「漁師の歌」というのがある。6/8拍子のこの曲、弾いてみると、冒頭2小節が何かを彷彿とさせる。
一瞬何だろうと思ったが、答えはすぐに出た。ショパンのピアノソナタ第3番ロ短調の終楽章の主題だ。
ショパンのソナタの楽譜が手許にないので、和声レベルでまで確認はしていないが、実際のところはどうだろう。フィビヒはショパンよりも後の時代の人物だから、ショパンのソナタを知っていた可能性はある。ただ、この作品を作曲した15,6歳の時点ではどうであったろう。
それにしても、何故この曲が「漁師の歌」だったのか。それなりの出自があったのか少年らしい思いつきで決めたに過ぎないのかは現時点では何とも言えない。が、仮に前者であった場合、ちょっと面白いことになってくる。「ショパンのソナタも同様だったのか?」という推測も出来るからである。
posted by D(各務) at 22:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2011年04月14日

J. V. ヴォジーシェク:《6つの即興曲》 HENLE版

以前ここでも取り上げたことのある、ヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク [J. V. Voříšek] のHENLE版、漸く見てみた。
ソナタなどが目当てだったのだが、既に所持している《6つの即興曲》も入っていて、これは若干誤算だった。
他には、「即興曲」、《幻想曲 Op.12》、《6つの変奏曲 Op.19》、《ソナタ Op.20》が収録されている。

これまで、HENLE版というのは基本的に校訂がきっちりされているものというイメージがあったが、今回この楽譜を見るにつけ、だからといってこれを鵜呑みにするのもどうかという気がしてきた。
というのも、即興曲第5番を見ていたのだが、そこにはベーレンライター・プラハ版に書かれていたタイの多くが欠落していたからだ。
譜例を示せないので、楽譜が手許にない人には著しく説得力に欠けるが、例えば9小節目〜10小節目のバス(E)はタイで繋がっている方が自然だが、HENLE版ではそうなっていない。同様の箇所は全て同様にタイが欠落している。
一方、75小節目の運指はベーレンライター・プラハ版の指示よりも私の指には適っていた。
ペダルの指示も微妙で、HENLE版の場合、トリオのところのみにあるのだが、モダンピアノでの演奏でそこに書かれている通りに踏んだら、かなり音が汚くなると思うのだ。但し、ペダルを踏んでも残響が大して長くなかったヴォジーシェクの時代のピアノで弾く分には、全く問題なかったに違いない(ヴォジーシェクの短い生涯は、彼に目を掛けていたベートーヴェンの後期と重なる)。
無論、ベーレンライター・プラハ版では、同じ箇所でももう少し細かく踏み直すように指示がなされている。

思うに、HENLE版の方が、一次資料(それが自筆譜かどうかはさておき)により忠実で、ベーレンライター・プラハ版はより実際的な方針で校訂・編集されているのではないか。
HENLE版に書かれていない多くのタイが、一次資料には書かれていない為に、HENLE版でも追記されていないのではないか。そうでなければ、ないと不自然であるにも関わらず、こうも抜けたままにはなっていないだろうと思うのだ。
posted by D(各務) at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2011年02月19日

HENLE版 J. V. Voříšek(ヴォジーシェク)のピアノ作品集

他に買う楽譜があって、その序でで取り寄せたのだが、この中に「6つの即興曲」Op.7 が入っていたのは誤算だった。
というのも、Bärenreiter, Praha版の即興曲集を既に持っているから。
西洋音楽史上、初めて「即興曲」の名を冠したといわれているこの曲集、自分で弾こうとまで思ったのは5番くらいだったが、聴く分には良いなぁと思う。
さて、これからこの両楽譜、両方とも持っている必要があるのかを考える上で、ひとまず比較検討をしなければ。。。
posted by D(各務) at 22:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2010年12月19日

フィビヒ:歌曲《月に想う》

今日は15日11日の記事に書いた歌曲の本番だった。
ピアノ仲間が何人か聴きに来てくれて、それはそれで緊張した。

譜面(ふづら)自体は、オクターヴ奏法に注意しさえすれば、さして難しくないものだが、11日の記事に書いたように、合わせるのが大変難しかった。
本番でもそれが出てしまい、必死でリカバーするのだが、ズレるところは大分派手にズレてしまった。
相手の歌い方や呼吸感を飲み込めていれば、大分違ったんだろうなとは思うが、今回はそこまでは出来なかった。

しかし、ピアノの内声と歌がハモるところなど良い響きだったし、なかなか良い曲ではなかったかと思う。
歌い手にとって魅力があるかどうかは若干疑問も残ったが。。。
今回のように、こちらが選んだ曲で、歌い手が歌ってくれる機会などそうあるわけではないし、今後もそうそうないだろう。今回おつきあい下さった歌い手さんには、感謝している。
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2010年12月17日

来年の曲

今年も後半月弱。
そろそろ、来年弾く曲のことでも考えようかという時期である。

今年は、ノヴァークの《英雄ソナタ》を正式に挫折した年でもあった。
この曲の処遇をどうしようかという問題もあるが、これは忘れない程度に、たまに浚うことにしようと思っている。
つまり、練習のメインには持ってこないつもり、ということになる。

そういった中、来年出来たら弾きたいと思っている曲を挙げてみる。

 V. ノヴァーク:音詩《パン》Op.43より第4曲「森」
 V. ノヴァーク:《バラード》Op.2
 V. ノヴァーク:《想い出》Op.6
 Z. フィビヒ:《気分、印象と追憶》より Nr.239 Op.47-35

ノヴァークの《想い出》は、今から数えてもうすぐ6年前のことになるが、2005年の1月、ホスピスで癌による終末医療を受けている友人を見舞いに行った際、当人から楽譜をプレゼントされたものである。だからこの作品はいつか必ず弾くつもりでいるが、来年実現出来るかどうかはまだ、ちょっと自信がない。
posted by D(各務) at 00:56| Comment(2) | TrackBack(0) | ピアノ

2010年11月14日

ノヴァーク:音詩《パン》 Op.43 とフランス近代

音詩《パン》は、ヴィーチェスラフ・ノヴァークが40歳の時に作曲された。「パン」は、ギリシャ神話の牧神の名に因んでいる。
《冬の夜の歌》で既に「チェコにおける印象主義」を示しているノヴァークだが、この作品も、そういう要素を多分に持っている。
解決しない不協和音、連続五度、さらにはドビュッシー作品の特徴とも言える六全音音階の使用が見られる。

六全音音階の特に目立つ例は、第3曲 MOŘE(海)の冒頭のトレモロ音型および、38小節目以降の左手の八分音符の音型などである。
よく聴いてみると、ドビュッシーの作品を彷彿とさせられる音色なので、かなり分かり易い。

《パン》で使われている、各楽章を通じて共通の動機を使用することで全体としての統一感を出している手法(循環主題)は、彼の作品においては、《英雄ソナタ》などでも見受けられる。こういったあたり、ドビュッシーの交響詩《海》のようでもあるけれど、ノヴァークの《パン》におけるそれは、ドビュッシーの《海》と比べて、素材の単位が大きい。その為、どこか絶対音楽的な印象も多少ある。

第1曲「プロローグ」
http://www.youtube.com/watch?v=1CkP2iUfvgE
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2010年09月05日

フィビヒを弾かなかった。

先日のピアノの集まりで、フィビヒを弾かなかった。
その後、「フィビヒを弾かなかったのって、初めてじゃないですか?」とのツッコミ多数。
まぁ、事実上ライフワークと化しているチェコ音楽の中でも、フィビヒは特に深入りしている作曲家ではあるけれど、それだけに固執すると単なる(悪い意味での)ヲタクであり、「木を見て森を見ない」でもある。
そういうわけで、意識だけは視野を広げつつあるのだが、如何せん手がついてこない。
この日弾いたのは、ヤン=ヴァーツラフ・ヴォジーシェクの《6つの即興曲》の第5番。
ホヘミアの古典では、イジー・ベンダとかヤン=ラディスラフ・ドゥシークなども比較的著名だが、ベートーヴェンに目を掛けられていたという彼の作品もなかなか良い。
ただ、三部形式や複合三部形式がやたらと多いのには若干辟易するが(苦笑)。

それはさておき、フィビヒを弾かない主な理由は、これから年末にかけて、ノヴァークの小品を幾つかやることになり、手が回らなくなったから。予定は、
 11月:《冬の夜の歌》第1曲「月の夜の歌」
 12月:《牧歌》終曲
    《冬の夜の歌》第3曲「クリスマスの夜の歌」
 その他:バラード "バイロン「マンフレッド」の後に"
...最後は別として、週末しか弾けないこの状況で、間に合うのか?(--;


話は逸れるが、TBSラジオでちょこっとだけ放送していた、アルゼンチンの作曲家・グアスタビーノのピアノ曲、なかなか良かった。
ヒナステラとは正反対(?)で、叙情的な作品だった。
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2010年07月24日

V. ノヴァーク 《バラード》 Op.2

先日、アメリカの某出版社より、楽譜を入手した。
バイロンの《マンフレッド》を題材にしたこの曲は、陰鬱なロマンティシズム漂う作品。概ね、リストを彷彿とさせるものがあると評されることが多いようだが、音楽的内容はリストの諸作よりも深刻なものを感じさせられる。

出版元は今まで聞いたことのない出版社だが、校訂者はどうやらイェール大学の教授であるらしい。
一緒に送られてきた、この出版社の出版目録をパラパラと眺めてみたが、一般的需要に対するよりも、より学術研究的路線で選択・出版しているのかなぁという印象があった。
内容をまだきちんと把握していないのだが、もしかするとちょっと目が離せない出版社かもしれない、という期待を少し抱いている。
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2010年06月27日

ピアノの集まり

...に、行ってきた。
出来てからかれこれ1年くらいになる。未だに個性的なのか無個性なのかよく分からない集団だが、いずれもっと面白い、トンがった集団に変貌させたいなぁとか思いつつ。
こういうのは管理人が一人で頑張っているようではなかなか上手くいかない気がする。人の集まりなのだから、みんなの力を引き出して、人数分とまではいかないかもしれないが、それなりの倍数分の力を発揮することが出来る筈。そんな集団に育っていくといいなぁと思う。
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2010年06月26日

Fibich - Malát :《大いなる理論的実用的なピアノの為の授業》第4部・第5部

フィビヒがJ. マラートとの共著で出したピアノ教本の第4部と第5部が手に入った。全5部構成だから、最後の方が纏めて手に入ったことになる。
この教本の最初の方を最初に手に入れたときから、かれこれ2年が経っていた。古書でしか手に入らないものなので、手に入るか否かは基本的にはタイミングが全てであるが、まだ全編揃わないまでも、よくぞここまで集まったものだとも思う。
副題に「〜卓越したヴィルトゥオーゾまでの」とあるように、第5部ともなるとなかなか技術的にも高度なものが要求される練習曲が多い。
その一方、フィビヒとマラートの考える奏法というものが、運指や示された奏法から垣間見える部分もあり、そういう意味で(少なくともフィビヒ研究の観点からは)この教本から得るものは少なくない。
posted by D(各務) at 15:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2010年06月14日

パウル・バドゥーラ=スコダ シドニー・リサイタル

バドゥーラ・スコダのCDは、GENUINというドイツのレーベルから何枚か出ていて、これはそのうちの1枚。曲目は、
 J. S. Bach: Partita Nr.I
 J. Brahms: Klaviersonate Nr.III
 B. Bartok: Suite Op.14
 C. Debussy: Estampes
 C. Debussy: L'Isle Joyeuse

バドゥーラ・スコダの著書で「バッハ 演奏法と解釈」という邦訳本が2年前に出ている。最近この本を読み始めたのだが、為になるし面白かったので、彼のバッハはぜひとも聴いてみたかった。というのがこのディスクを買った唯一の理由。

現代ピアノで弾くパルティータを聴く機会もあまりないのだけど、先月買った、ピーター=ヤン・ベルダーのハープシコード版よりは、聴いて分かり易かったような気がした。
7,8年前に1回聴いて止めてしまった、シフのバッハ全集を思い出すところがあった。あの頃は、色々腑に落ちなくて聴くのを速攻で止めてしまったのだけど、今にして「あの頃はよく分かってなかったからかなぁ」とも思えるようになってきた。
あの当時、欲しがる人は周りに幾らでもいたのだが、不思議と売り飛ばさなかった。

しかし、よく考えると、このディスクの曲目構成はちょっとすごいなぁと思う。
バッハとブラームスはまぁいいとして、その後がバルトークとドビュッシー。
バロックと新古典と国民楽派と印象主義。見事なまでにバラバラだ。


で、「聴いてどうだったの?」という話だが、私個人の感想は「◎」に近い「○」。
バッハはよかった。
#良かったけど、まだ色々勉強中なので細かいことは省略。(^^;
ブラームスの第3ソナタがどうだろうと思ったが、これも良かったので。

青臭さと老熟さの同居したような不思議なこの曲(=第3ソナタ)の演奏には、良いなぁと思うものには意外に出会えていない。
今まで聴いた中で良かったと思ったのは、ペライア、若林顕くらい。
これらに加えてもう一つ、気に入りの演奏が見つかったのは嬉しい。

少し難を言うと、L'Isle Joyeuse(喜びの島)は、勢いに乗り過ぎていたというか、やや走った感があった。もう少しドッシリと構えて欲しかったかな。
posted by D(各務) at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2010年05月03日

バッハ:《パルティータ》 Pieter-Jan Belder

ものの弾みで、 pieter-Jan Belder のハープシコードによる、バッハのパルティータ集(全曲)のCDを買って聴いた。

正直言って、現時点において、Belderなる演奏家については知識がないが、聴いてみて、そんなに悪い買い物ではなかったように思った。であるとすると、かなりお買い得な買い物だったことになる(笑)。

テンポは思ったよりもゆったり目。こういうのを聴くと、自分で弾く場合の、将来的に想定している "In Tempo" も、もっと落としてもいいのかなと思う。
ただ、アーティキュレーションは、現代ピアノと比べて随分と違いをつけ難いものなのだということを実感した。

装飾音については、HENLE版の楽譜に書かれていないものが散見された。
これについても現時点なりの感想はあるが、まだ読了していない資料を踏まえずに書くとヘンなことになりそうなので、今は省略。
posted by D(各務) at 21:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ

2010年04月30日

スメタナ《我が祖国》ピアノ連弾版

スメタナのピアノ連弾用の作品(自作管弦楽作品からの編曲を含む)には、面白いものが幾つもある。
《我が祖国》もその一つで、原曲は有名だが、作曲者自身によるピアノ連弾版もなかなか面白い。
楽譜も出ていたようだが、今は刊行されていないようで、古書でもそうは行き当たらない。
そんな中、 Roman Veselý という編曲者("Prof." と称号がついているので、どこかの音大で教授をしていたのだろう)による、編曲楽譜が古書で売りに出されているのを見つけた。1曲づつバラになっていて、全6曲中、最も重要な第1曲「ヴィシェフラト」、最も有名な第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」がないものの、その他は全て揃っている。
最も重要な2曲が抜けているのは問題だが、前に買って聴いた音源(ピアノ連弾版だが、但しスメタナ編)がとても気に入っており、いつか楽譜も入手したいと思っていたので、「でも、作曲者編じゃないしなぁ」と躊躇しつつも、結局手に入れた。

スメタナ編のピアノ連弾版を聴きながら、届いた楽譜のうち、終曲「ブラニーク」を読んでみた。
以前、フィビヒの《黄昏》Op.39 をピアノ連弾版に編曲した後、作曲者自身のピアノ連弾版編曲に出会ったが、結局、原曲が同じである以上、無理をする必要さえなければ、違う人が編曲しても、そうそう極端な違いは出ないことを知った。
違いが出るのは、無理をしなければいけなかったり、思い切ってバッサリやる必要があったり、編曲先の楽器編成に合わせて、楽器の特性を特に生かすために、何か特別なことをした場合だと思う。
...だから、このスメタナ編による音源と、 Roman Veselý による楽譜の場合にも、そんなに極端な違いはなかった。
「ブラニーク」は、大作の最後を飾るに相応しく、終盤大いに盛り上がる。
《我が祖国》にちゃんと興味のある人以外にはあまり出会う機会もない「ブラニーク」だが、演奏会でトリに置けば盛り上がる作品の一つであることは間違いない。
この終盤の幾つかの部分で、やはり盛り上げ方でスメタナ編には負ける部分があった。
スメタナの編曲が、必ずしも原曲の雰囲気をしっかり伝えているというわけではない。
原曲では終盤、金管楽器群による非常に目立つ音型があるのだが、これに隠れて殆ど目立たない音型を、スメタナ編のピアノ連弾版では、寧ろトレモロ風にしてまで、金管楽器群の音型より遥に目立たせている。そしてこれが何とも聴き映えがするのだ。
そこを、多分 Roman Veselý は原曲を意識して、あまり目立たないように書いたのだろう。

どういう編成への編曲をするにせよ、編曲者は、「新たに編曲した編成の楽器で、如何にその編成に相応しい音楽にするか」ということを頭の片隅において置かなければならない。
しかしそうは言っても、作曲者でなくして、たとえそのためであっても、たとえその曲の一部だけであっても、原曲と雰囲気を著しく異にする編曲は、恐らく世間からは受け入れられない。だからスメタナがやったような編曲は、 Roman Veselý を始め、この曲を編曲しようとする全ての良識ある編曲者にとっては、容易には踏み込めない領域だ。
である以上、この差は仕方がないとしか言いようがないのだが、こういう事実を目の当たりにするにつけ、スメタナのピアノ連弾作品の秀逸さを実感せざるを得ない。
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2010年04月25日

バッハの時代の慣習

最近、パウル・バドゥーラ=スコダの「バッハ 演奏法と解釈」という本を読んでいることは前の日記にも書いた。
ピアノを弾いているのだが、習いには行っていないこともあって、こういう当時の慣習を知らないといけない音楽は、ただそれだけの理由でも手を出し難いものなのだが、「絶対、ここには何かある!」と警戒していた殆ど全ての問題に対する答えがこの本には書いてあり、とても面白く読めている。
まだ最初の100ページ程度しか読んでいないが、「6つのパルティータ」からの出典が比較的多い。この曲集をやっている人には丁度いいかもしれない。

そして、著者はもうとんでもない楽譜ヲタク、あるいはエディションヲタクであることがよく分かる。
まぁ、これくらいバックグラウンドがヲタクじみていれば、その執筆した内容に対する信用度も上がるということにも繋がるのだろうけど。兎に角、感心させられることばかり。

当時の楽譜の記法と実際の演奏の間には、日本語の「口語」と「文語」くらいの違いがあり、要するに楽譜に書いてある通りに演奏することは間違いとなり得ることなど、「知らなきゃ出来ない」ルールがいくつもあることを知ったことも収穫だった。

しかし、そういう内容を読んでみて思ったことは、楽譜の如き、定量的数学的に記述する方法がありながら、厳密にはその通りではない音楽の記譜法をしていたというのは、現代の感覚からするとあまりに矛盾であったり不都合であったりするなぁということだ。
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