2010年09月18日

フィビヒ:ピアノ三重奏曲 ヘ短調(遺作)

ずっと前から探していたこの曲の楽譜、ついに出物を発見したので取り寄せた。
フィビヒは20歳で音楽修行を終えているが、これはその2年後に書かれた作品。翌年には最初の妻、ルージェナ・ハヌショヴァーとの新婚生活を控えた時期でもあり、意気揚々とした雰囲気も感じられなくはない。短調ではあるが、終楽章は同主異調のヘ長調で書かれており、冒頭から快活そのものの楽想が奏でられている。

10年ほど前にCDで聴いて以来、何となく思ってはいたが、実際楽譜を見て自分で音にしてみると、後期のピアノ五重奏曲(Op.42)等とは随分と書法が違うように感じた。
単純なフレーズはかなり単純だし、和声も、響きが素朴なのだ。
中期以降の作品になると、そういう部分はあまりなくなってくる。

それがどの辺りの時期から変わってくるのかについては、関心のあるところではある。
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2010年06月23日

コレッリ コンチェルトグロッソ集 Op.6

Corelli The Complete Concerti grossi, Op.6 (PHILIPS / 456 326-2)
イ・ムジチ合奏団(I Musici)の演奏によるCD。2枚組で第12番までの全曲が収録されている。
3月に入手したのだが、コレッリの作品をじっくりと聴いてみたいというのが、入手した理由。実を言うと、これほど知名度も高い作品であるにもかかわらず、自分の手許に録音を置いてじっくり聴くということがこれまでなかった。
「クリスマス協奏曲」に至っては小学校にあがる遥か前から知っていたが、それがどういう録音だったのかは思い出せない。

イ・ムジチ合奏団は、私が幼少の頃には既に著名だったという。この手の作品の通奏低音はチェンバロである場合が多いように思う(少なくとも私が耳にしている範囲ではそう)のだが、これはオルガンが通奏低音に使用されている。そういう意味でちょっと珍しく、「オルガンの通奏低音で聴いてみたい」という人には良いかもしれない。
ただ、個人的にはチェンバロの通奏低音で聴いてみたかったので、また別な録音を探して聴いてみることになろうかと思う。

この作品は今のところ、私にとって聴き比べの対象ではないので、ここでは演奏の批評はしない。が、充分満足して聴ける録音ではある。
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2010年05月27日

PIAZZOLLA

今月初めに買った、ピアソラの自作自演集の4枚組CD、ようやっと聴き終えた。
買ってからなかなか聴かなかったのは、元々ジャンルとしても普段聴かない物だけに、気分が乗らなかったのかもしれない。

聴いてみると、確かに知らない曲ばかりだった。
《リベル・タンゴ》などはピアノ連弾に編曲された物が結構人気があるらしく、しばしば耳にするのだが、そういう物は入っていなかった。
もっと聴き込まないと、気に入るかどうかも何とも言えないが、いずれにせよ夜にグラスを傾けながら聴きたい感じの音楽かな。

どのディスクも50分前後と比較的短く、3枚で充分入るだけの分量なのだが、ジャンル別に分けた結果、4枚組になったようだ。
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2010年04月10日

バッハ演奏法の本(2)

「バッハ 演奏法と解釈」(パウル・バドゥーラ=スコダ/全音)を読み始めた頃に一言書いた気がしたので記事を検索してみたら、なんと2ヶ月も前だった。

音楽研究は本業じゃないし、ピアノも弾かなきゃいけないし(これまた本業じゃない)、いろんなことで取り紛れてはいるが、少しづつ読んでいる。
今読んでいるのは、第2章「リズムの研究」後半と、第4章「バッハのアーティキュレーション」の前半。「ドクターC」氏と著者との対話形式で綴られている第8章「原典版楽譜の諸問題」も、つまみ喰いのつもりが興味深く且つ面白かったのでついつい読み切ってしまった。
今は専ら家で読んでいるだけで、外での移動時間の合間に読むようなことはしていない。例えば通勤電車の中で読めば多少今より進んでいたとも思うが、実際には音を出したり、楽譜を引っ張り出して自分で譜読みをしたりして確認しなければ先に進めない箇所も少なくないので、そういうことをしたとしても、さほど効率的ではないだろうと思っている。

最近、今の自分にはあまり合っていない気がしたので、イギリス組曲第3番を止めて、パルティータを浚い始めた。
丁度今読んでいるところはパルティータに関する記述が多いこともあり、色々考える材料になっていている。

よくよく考えてみると、演奏解釈の細かいところは、自分がその曲に手を出すきっかけになった演奏録音などを聴き、それを参考にしている場合も多い。しかしこういうやり方の中には「楽譜からより多くのことを汲み取る」という発想はなく、学問的(すべての演奏活動がそうであるべきかどうかはさておき)には正しい姿勢とは言えないし、能動的に解釈しようという観点からいっても面白くはない。
だから、こういう研究本を読むことにはそれなりの意義があると思う。

... それにしてもこの本、目次を見れば見るほど、これまで自分がバッハ作品の演奏に関して疑問に思い、二の足を踏んで来た殆ど全ての問題を論じている。
買った当初は内容をよく精査しておらず、辞書的な使い方を考えたこともあったが、きちんと全部読んだほうが良さそうだ。
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2010年03月13日

三度並行、その後

Brahmsの51の練習曲、Breitkopf & härtel 版を使用していたのだが、十年来付き合ってきたこの楽譜も傷みがひどく、とうとう分解してしまったのを機に、HENLE版で買い換えたのが去年のこと。
Breitkopf & härtel 版に執着がなかったのは、一つには誤植があったことと、もう一つは、解説の類が全くなかったことだった。
HENLE版の良いところは、内容をあまり神経質にならずに信用出来ること(こういうのをブランドイメージと言うんでしょうな)と、補遺が結構載っていて参考になること。
先日の日記で触れた、2a 練習曲に関しても補遺が載っており、Appendix E に、各調での指遣いが掲載されている。
・・・と思ったら、載ってない調もある。♭系の調は一通り困らないが、♯系は、G-dur/e-moll, D-Dur/h-moll, H-Dur/gis-mollが欠落している。
多分なくてもどうにかなるから書かれていないんだろうけど、書いておいて欲しかったなぁ。。。
まぁ、それはともかく、これを使って各調で2a練習曲を攫ってもいいだろうし、Appendix E を一纏まりの練習曲群として扱っても良いだろう。
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2010年02月20日

あの頃聞いた音楽:ラフマニノフ 交響曲第2番

交響曲は、今もさほど聴いてはいないが、学生の頃は、今より更に聴かなかった。
そんな状況下ながらもよく聴いたのは、アンドレ・プレヴィンがロンドン響を振った、ラフマニノフの第2交響曲だった。
というわけで今日聴き返してみたのは、上記の音源。
あの頃は余程「外さない」確信がない限りCDを買うなどということはしなかったのだが、流石にそういう時期に買った物だけあって、今聴いても「良いなぁ」と思った。

ラフマニノフの2番と言うと「え?ピアノ協奏曲じゃなくて?」と聞き返されることも多い。確かに知名度はピアノ協奏曲第2番の方が遥に上だが、交響曲第2番もなかなか名曲だと思う。
楽想そのものもまさにロマン派のもの。弦楽器群が終始主役的役回りである点、オーケストレーションの面からも完全にロマン派時代の交響曲と言える。
哀愁に満ちた息の長い旋律、巧妙な拍節の取り回し、重厚な響きなど、ラフマニノフらしさが随所に現れている。第3楽章は非常に美しい。
循環主題を使っているせいか、全楽章を通して、1つの作品としての統一感が感じられる。
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2010年01月23日

コレッリ:《クリスマス協奏曲》

年末に届いた、コレッリのコンチェルトグロッソ集と、ヴァイオリンソナタ集の楽譜は、何れもDover版である。
以前にもヴァイオリンソナタ集の楽譜を買おうと思ったことがあって、その時は編曲をしようと思ったのではなく、ヴァイオリン弾きがいたので一緒に演奏しようと思ったのだった。
その時は、Schott版とかPeters版とか色々見て、伴奏(通奏低音パート)の譜面(ふづら)が版によってあまりにも違うために躊躇し、結局買うに至らなかった。何といっても、実用面を重視した為なのだろうけど、1段の所謂「数字付き低音」ではなく、ちゃんとピアノの大譜表に仕立てられていて、それが元の「数字付き低音」に基づいてそれぞれ違う人によって書かれているため、版によってまったく違う譜面(ふづら)になってしまっていたのだった。
若しこのような版を使って演奏するのであれば、何も考えずに信用するか、自らきちんと通奏低音について学んだ上で検証するという作業が必要になってくる。
真っ当な人なら恐らくそのようなものは使わず、コレッリ自身が書いたであろう「数字付き低音」のままのパート譜を見、自ら考えるであろう。
そういう意味では、通奏低音が「数字付き低音」として書かれているDover版は、却って良い選択だったといえる。

さて、コレッリのこれらの楽譜を買ったのは、目先の目標としては、ピアノ版に編曲することを通して、コレッリの作曲技法に触れることにある。
ひとまず、この中で最も慣れ親しんでいる《クリスマス協奏曲》に手をつけることにした。
どの楽章もよく聴き知ったものであったが、まずは第3楽章から始めた。
やり始めて気づいたのは、各声部の複雑な絡み合いである。
この為、ヴァイオリン族同士の比較的同質な音色であるとは言え、声部の動きを重視して2段の大譜表に編曲すると、いろいろと思わぬ無理が生じる。
例えば、第2ヴァイオリンが第1ヴァイオリンの上に出てくるなどということは、割と頻繁にあるのである。
実際ピアノ版に書いてみると、かなり複雑に絡み合って読み難いことこの上ない物が出現した。
コレッリはきっと、鍵盤楽器で作曲を考えたことなどなかったのであろう。
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2009年12月30日

コレッリ

Dover版で、コレッリのコンチェルトグロッソ集と、ヴァイオリンソナタ集の楽譜を買った。

コレッリは、ピアノを初めて習う前の、3,4歳の頃から好きな作曲家だった。
確か、あの頃聴いていたのは、コンチェルトグロッソの第8番、有名な《クリスマス協奏曲》だったと思う。
ラフマニノフやリストが引用したヴァイオリンソナタ《ラ・フォリア》の作曲者であることは、ずっと後になって知った。

物心ついた頃、暫くヴァイオリンを習いたいと親に訴えたのだが、結局却下され、代わりにピアノを習うことになった。ヴァイオリンじゃなかったことへの不満が、ピアノに身が入らない理由だったような気がするが、結局、大して身にならなかったながらも、今は細々とピアノを弾いており、それが音楽との接点の一つとなっている。
だから、と言うわけでもないが、《クリスマス協奏曲》をピアノに編曲してみようと思っている。おもしろいモノになるかどうかは別として。
また、折角だから写譜をして、少しは勉強になったら良いと思う。
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2009年12月10日

《カッチーニの“アヴェ・マリア”》

ピアノの集まりの中で、「クリスマスにちなんだ曲を」というテーマ決めがされている企画があり、何だかんだと頭を悩ませていたのだが、「ある程度想像できる程度のものでよい」とのことだったので、こんなものを選んでみた。

元は歌曲なので、ピアノ曲版を見つけてくるか、ピアノ曲っぽくしなければならない。そんなことを考えつつ、池袋のYAMAHAで楽譜を物色していたのだが、幾つか掲載している曲集が見つかった。中には曲集自体のタイトルが「アヴェ・マリア」となっているものまであって、開いてみると本当に「アヴェ・マリア」だけが収録されていたりする。グノーは勿論、シューベルト、カッチーニ・・・その他、私が出会ったことのなさそうな「アヴェ・マリア」も。
そして、「カッチーニの〃アヴェ・マリア〃」も、楽譜によって、いろいろな伴奏が書かれていて、それにしてもよくぞこうも違っていたものだと思った。というのも、この曲自体はG. カッチーニの作品ではないことが分かっていて、本当の作曲者も20世紀の人物と特定されているようなのである。
※ウラディーミル・ヴァヴィロフ(Vladimir Vavilov 1925-73)であるらしい。
にも拘らず、まるで昔からある旋律にめいめい伴奏を書いたような感すらあるのだ。

色々見た挙句、結局、「君と旅立とう」(音楽之友社)という曲集を買って帰った。編曲の手間を費やさずとも旋律がピアノパートに入っているのは結構なのだが、旋律があまり響かない音の配置になっている(まぁ、本来は歌がつくんだから、別に構わないということだろう)のと、あとちょっと弾き難い(わがまま)ところがあるのが難だろうか。

あんまり時間もないけど、楽譜をいじるかどうかは、ちょっと考えてみよう。。。

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2009年09月19日

ズデニェク・ザフラドニーク:K. H. マーヒの詩によるメロドラマ《5月》

D-Durにて。
メロドラマと言うと、これまではZdeněk Fibichのものしか聴いたことがなかったが、現在チェコではFibich協会による国際メロドラマコンクールが行われており、Fibichが復興したメロドラマというジャンル自体、一定の市民権を獲得しているということだろう。
この作品は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ハープ、ピアノと朗読の構成で、ピアノは作曲者自身による演奏だ。
朗読もFibichの作品のように一人ではなく、複数である。また、音響効果も使われている。
音楽にそれなりに重きが置かれている点を除くと、NHK-FMで放送していた(今でもやっている?)、「FMシアター」に大体イメージが近いのではないかと思う。

残念ながら、何を喋っているのか理解ができないが、分かればなかなか面白いかも知れない。


16:50 - Zdeněk Zahradník: Máj. Melodram na báseň K. H. Máchy

Recitují Gabriela Filippi, Ernesto Čekan, Filip Sychra, Lenka Novotná, Otakar Brousek st., Petra Doležalová, Vojtěch Babka, Daniela Bělohradská, Jan Bělohradský, Tomáš Bělohradský a Zdeněk Bělohradský, hrají Bohuslav Matoušek (housle), Josef Kekula /Vá/ (housle), Jan Pěruška (viola), Sebastian Toth (violoncello), Ivana Pokorná (harfa) a Zdeněk Zahradník (klavír).; Vyrobeno v EU.(68 min)
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2009年09月06日

asahi.com(朝日新聞社):「エリーゼのために」本当は「エリザベートのために」? - 文化

少し前の記事だが、おもしろい記事だったので転載しておく。

まだまだ最終決定打というところまではいかないようだが、従来の「『テレーゼ』の読み間違いで『エリーゼ』になった」説よりも、かなり納得度の高い研究結果ではないかと思ったが、どうだろう。

http://www.asahi.com/culture/update/0728/TKY200907270454.html
2009年7月31日8時0分


ベートーベン(1770〜1827)の名曲「エリーゼのために」は知人の妹に贈った可能性があると、ドイツの音楽研究者がこのほど明らかにした。これまではハンガリーの伯爵令嬢「テレーゼ」に贈られ、判読しにくい文字を読み間違えて「エリーゼ」になったとの説が有力で、独研究者の調査は「エリーゼ」論争に一石を投じそうだ。

 ベルリン在住の音楽研究者クラウス・マルティン・コピッツ氏によると、「エリーゼ」は、ベートーベン作曲のオペラにも出演したテノール歌手ヨーゼフ・アウグスト・レッケルの妹で、独南部レーゲンスブルク出身のソプラノ歌手エリザベート(1793〜1883)の可能性が高いという。

 コピッツ氏は5月中旬、彼女が住んだウィーンの教会の書庫で、彼女の第1子の洗礼記録(1814年)を発見。母親の欄には「マリア・エバ・エリーゼ」とあり、当時、彼女がエリーゼと呼ばれていたことがわかったという。

 エリザベートは1807年、兄を追ってウィーンに住み、兄を通じてベートーベンと親交があった。10代後半の彼女の美しさは有名だった。1810年に作曲された同曲の正式名には「4月27日の思い出に」という記述があり、同年に彼女が一時、ウィーンを離れていたことから、コピッツ氏は「曲はエリザベートとの別れにちなんで作られた」との可能性を指摘する。

 彼女は1811年にウィーンに戻った後、ベートーベンの友人でライバル関係にあった作曲家のヨハン・ネポムク・フンメルと結婚。エリザベートは夫とともに、死の床にあったベートーベンを訪問。彼女に自らの髪の一部と羽根ペンを手渡したという記録も残っているという。

 「エリーゼが誰かという謎が解けて感激だ」と話すコピッツ氏は来年、今回の発見を論文として発表する予定だ。(ベルリン=金井和之)

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2009年08月13日

asahi.com(朝日新聞社):明治学院大名誉教授の平島正郎さん死去 - おくやみ・訃報

中学か高校の頃に、この人の著作「ドビュッシー」を借りて読んだ。
借りたのは市民図書館だったか、学校の図書館だったか、ちょっと記憶が定かじゃない。
あの当時、「結構古い本だ」と思って読んだ記憶があるので、正直なところ「まだ80代だったのか」と思った部分もある。

ピアノを再開したのが中学の頃だったが、そうなるきっかけというか、初めて好きになったピアノ曲がドビュッシーだったので、そういう向きからの関心があって読んだのだった。
「ドビュッシー」姓の由来についても確かこの本で触れていたんじゃなかっただろうか。

ご冥福を。(_ _)

http://www.asahi.com/obituaries/update/0811/TKY200908110355.html


 平島 正郎さん(ひらしま・まさお=明治学院大名誉教授・音楽学)が10日、拡張型心筋症で死去、82歳。葬儀は13日午後1時から東京都港区芝公園3の6の18の聖アンデレ教会で。喪主は妻葉子(ようこ)さん。

 フランス音楽史が専門で、著作に「ドビュッシー」などがある。


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2009年08月07日

雑記

最近、本家サイト の更新状況は、あたかも単なる「お買い物履歴」のような体たらくでもあるが、一方、水面下では色々資料を読んだり、新しい頁の準備やらをしてないわけではない。
今取りかかっているもののうち、一番大きな頁になりそうなものは、Fibichの様々な側面について述べる内容なのだが、頁の構成上、内容を幾つか取捨選択しなければいけないこともあるし、記す内容についても色々とウラを取る作業もあるので、まだ暫く時間が掛かる。

こうしてFibichのことばかり書いているけれども、実は彼一人を相対化するためには、この時代(19世紀後半)の中欧地域の社会情勢や他の作曲家たちのことなどもたくさん知らなければいけないので、なかなか表に出せるものは少なかったりもする。
尤も私の場合、「チェコ語が満足に読めない」(但し努力中)は、それ以上に深刻な問題であるけれど。
よくビジネス書などで「T字型人間になれ」とあるが、結局この分野でも、気がついたらそういうことになっていそうだ(笑)。
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2009年08月03日

《ヴィーチェスラフ・ノヴァーク・主題と文献カタログ》

前々から欲しいと思っていた、ノヴァークのカタログが到着した。
版元は "Editio Praga"と書かれているが、現在出版しているのは実はEditio Bärenreiter, Prahaである。
Fibichの同様のカタログと比べて、各作品の主題は少し長めに引用されている点はよいものの、本全体ではだいぶボリュームが少なめな印象。どうやら作曲家の生涯などの記述が英語しかないなど、幾つかない分だけ、ボリュームも少なくなっているということらしい。
#それにしても、その差300頁にも及ぶので、かなりな違いではある。

いずれにせよ、これでノヴァークについて知りたいことの多くが分かるようになるだろう。
めでたしめでたし(ホントか?)。
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2009年07月20日

微妙な音楽日記

昨年末だったか、「冬休みの宿題」(笑)と称して読み始めたピストン/デヴォートの和声学、今はしばし中断中である。

なんせ、人からお借りした、未読の楽譜が山積み状態なのだ。
オペラやステージドラマが多いので、全部合わせると、ページ数が結構凄いことになる。
早く片付けて和声学に戻らないと、覚えたことを忘れてしまいそうだなあ、と思いつつも、そのまんまだったりする。

最近、和声学のような、ある程度基礎知識のある分野の学問書(『学術書』と書くのが妥当かどうか見当つかなかったのでこう書いてみた)などは、書かれた順序通りに読むのではなく、もっとも感心のあるところから読んだ方が良いのではないかと思うようになったので、転調など、幾つかの章は順序無視で読んでみた。
確か、下総皖一の本にも、共通和音、一時転調の話はあったが、転調の種類や段階の踏み方など、ピストン/デヴォートの方がよく説明されている。
中学のときにこの本に出会っていたらどんなに良かったことかと思うが、その頃は邦訳は出てなかった。
出てても、あの値段じゃ買えなかったけど。。。
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2009年07月15日

続・メロドラマ

前日の日記にもメロドラマのことを書いたが、私が聴いているメロドラマのCDは、Fibichのことを書いたサイトでも紹介している。

Zdeněk Fibich Koncertní melodramy

このディスクには、Fibichのメロドラマの全6作が朗読+ピアノ版で収められており、そのうち3作は2枚目のディスクに朗読+管弦楽版でも収められている。
今現在、CDとしてはこれしか選択肢が見当たらない一方、お薦め盤としても不足はないのではないかと思う。
2枚目の管弦楽版はフランティシェク・ヴァイナル[František Vajnar]が指揮をしているというのもいい。私自身は今まで聴いた限り、Fibichの管弦楽作品の演奏では彼の指揮したものが一番好みに合ているので(笑)。
但し、聴きたい人にとっては、という条件がつくけども(苦笑)。

この中で個人的に最も気になっている作品は、《ハコン》Op.30。
残念ながらチェコ語の教養がないので詩の内容を把握していないが、音楽はこの作品のみが勇壮な雰囲気を持っている。
CDの英語解説によると、ヤロスラフ・ヴルフリツキー [Jaroslav Vrchlický] の詩に基づく 《ハコン》[Hakon] は、神話上の不謹慎な英雄を描いたものとある。
#本当はもうちょっと詳しく書いてあるが割愛。
色々調べてみると、"Hakon" という名は、歴史上のノルウェー王に関係がありそうだが、CDの解説にはそこまでは書いていなかった。

楽譜でも手に入れば、色々読み解けて面白いかも(とかいいつつ、チェコ語の記述しかなかったら、独力では相当厳しいが)と思うのだが、これがまた楽譜がどこにも見当たらないという...。
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2009年07月14日

メロドラマ

先日、ピアノ弾きの集まりで、最近入手したFibichのメロドラマの楽譜を持参し、初見一発合わせに付き合ってもらった。

「メロドラマ」というのは、「詩(物語的な内容を持ったもの)の朗読と音楽」という形態の芸術で、音楽は管弦楽の場合もあるし、ピアノの場合もある。
Fibichのメロドラマの場合、少なくとも《クリスマス・イヴ》、《ヴォドニーク》、《ハコン》には管弦楽版とピアノ版の両方がある。


持っていったメロドラマの楽譜は、

 "Christmas Eve, The Water Sprite"

というもので、Zd. Fibichの《クリスマス・イヴ》Op.9 と 《ヴォドニーク》Op.15 が収録されているもの。
今回は《クリスマス・イヴ》を合わせてみた。
合わせてみたとはいっても、ほんの触りだけだが。

やってみて難しいなと思ったのは、「旋律のない朗読を聴きながら、音楽をそれに合わせる」ということだった。
歌や他の楽器のパートと違い、朗読される詩自体は、その音楽の一部ではない。
にも拘らず、合わせるべき縦の線は存在しているので、「合わせ」の概念自体は存在する。朗読者の方も音楽を意識しながら朗読しなければならないから、詩だけでなく、楽譜も同時に読むことになる。
音楽の方は音楽の方で、詩を「言葉」として聴きながら演らないとならない。例えばフェルマータの後の入りを間延びしないようにしようとすると、詩をちゃんと聴いていないと入りのタイミングが分からない。

で、この音楽の旋律や和声進行と殆ど無関係な抑揚で読み進められる「言葉」を音楽と同時に耳から入る情報として一緒に処理するのがなかなか難しいようなのだ。
同じ言葉を伴うものでも、旋律があって音楽の一部になる歌とは明らかに違うようで、ピアノを弾きながら朗読を聴こうとするのだが、一向に頭に行ってこない(苦笑)。
これは恐らく、歌曲の伴奏や楽団の一員として合奏に参加して他の音を聴くのとは、使っている脳の場所が違うのだろう。
多分練習次第なのだろうけど、初めてやって、すんなりできる代物ではないということだけは分かった(苦笑)。

しかし、真面目に取り組んでみると意外に面白いのではないかとも思った。

作曲者のFibichがメロドラマを復興した作曲家との評は昔から聞いていたが、チェコから取り寄せたこの楽譜の緒言にも、「彼(=Fibich)は、モダン・チェコ・メロドラマのジャンルにおける創始者である云々」の記述があった。
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2009年06月30日

Schott版 フィビヒ(フィビフ) 《詩曲》

Fibichの音楽として有名になった、ヴァイオリンとピアノのための小品《Poeme(詩曲)》だが、Fibichの作品を元に別の人が編曲したものなので、Fibich作曲と言うのとはちと違う。
ヴァイオリニストのヤン=クベリーク(高名な指揮者ラファエルの父でもある)が最初に編曲したのがウケて、以来、他の多くの編曲者の手で、様々な編成で同様の編曲が行われている。

先日、こちら関係では有名な先生に見せて頂いたものの一つに、Schott社から出版されている《詩曲》の楽譜があった。

私の手許には、以前から
 (1)クベリーク編曲(Fr. A. Urbanek社版)
 (2)ブロシュ編曲(Supraphon社版)
がある。
このうち、(1)は原曲通りDes-dur で、「管弦楽のための牧歌《黄昏》」の当該部分にかなり忠実に編曲されている。
一方、(2)は、読み易いようにするためか、C-Durに移調(音色の色彩感が変わる)している他、バスのオクターウ゛重複を省略(このため、響きが軽くなる)、何かよく分からない音が書き足されている、などの特徴があった。
正直なところ、個人的な感想としては(2)は色々と変わり過ぎていて、イマイチな印象だった。

が、Schott社版は、もっとすさまじく変わっていた(苦笑)。
まず、G-Durで書かれている。ヴァイオリンパートをみても、その必然性はよく分からない(というのも、別に解放弦が効果的に絡んでいるという訳ではないため)。
また、「Fibichの《詩曲》」というものは通常、序奏部分の後を2回繰り返すパターンの編曲が多いのだが、これはその2回目で、ヴァイオリンのパートを1オクターウ゛上げている他、ピアノパートの音の音型は、殆ど独自に作ったのではないかというくらい、原曲と似ていない。かといって、通常よく無視されるハープパートの音を考慮して書かれているわけでは更にない。
マルタ・リンツ [Marta Linz] 編曲によるこの《詩曲》、楽譜は入手しやすいようだが、曲を知っている人にとっては色々と予想を裏切られる編曲なので、演奏しようという場合には内容に要注意である。
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2009年06月15日

フロトウ:歌劇《マルタ、またはリッチモンドの市場》

D-Durにて。


まだ小学校にも進学していなかった幼かった当時、多分市内の工場からだったと思うのだが、夕方になると、オルゴール風の音でこの音楽が流れてきたものだった。
当時は流石にフロトウもマルタも知らなかったので、なんとなくこの旋律が記憶に残っただけであった。
この旋律を聴きながら、夕闇に沈む、自宅近所の広場を見下ろした光景が目に浮かぶ。
しかし、あの場所は今はもうない(取り壊されて、道路になっちまったらしい。爆)。



16:05 - Friedrich Flotow: Marta. Romanticko-komická opera o čtyřech dějstvích
Zpívají Lucia Popp (soprán)-Lady Harriet Durham, Doris Soffel (mezzosoprán)-Nancy, její důvěrnice, Sigmund Nimsgern (bas)- Lord Tristan Mickleford, Siegfried Jerusalem (tenor)-Lyonel, Karl Ridderbusch (bas)-Plumkett, nájemce a další. Sbor a orchestr Bavorského rozhlasu řídí Hein Wallberg.(125 min)
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2009年05月03日

詩曲

Fibichといえば、この曲さえ出せば商売になるから、ということなのだろうが、CDでFibichを探すと、この曲だけが入っているということが往々にしてある。だが、こういう現象自体は苦々しく思っている。
Fibichは、歌劇《カヴァレリア・ルスティカーナ》しかヒットしなかった、マスカーニではない。
聴く価値のある作品は、他にまだたくさんあるわけだから・・・。

更にうるさいことをいうと、これは厳密にはFibichの作品をヤン・クベリークが編曲したもので、Fibichの作品そのものではない。

・・・でも、いいよね、と思うのも事実(苦笑)。
こういう形で器楽用のアンコールピースが存在することをまだ知らなかった頃、私も実は「管弦楽のための牧歌《黄昏》」Op.39 から、同じところをピアノ用に編曲したことがある。
#だから、人前で弾くときは殆どが「Fibich=Holiutschi / Poem」としてであって、「気分・印象、そして追憶」Op.41-139 として弾いたことは殆どない(^^;;

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