2007年07月12日

こんな名前を付けるなんて

あんまりだなぁと思うけれど、あるらしい。

DQNネーム

調べる方も調べる方だが、付ける方は尚更、かも。
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海のある街に生まれ育った、所謂「浜ッ子」である。
子供の頃の家から一番近い海は、嘗て通っていた小学校の近くにあって、漁港と海水浴場(だったのかなぁ)が隣り合っていた。漁港は勿論漁船が出入りしているところだが、その港内でも釣り糸を垂れれば、季節やその年により色々な魚が釣れた。砂浜では海水浴をしに来る人が勿論多かったのだが、たまに蟹釣りをしている人もいた。この砂浜は所々岩が顔を出していて、これをよく品定めの上で鑿又はマイナスドライバーと金鎚でもって叩き割ってやるというと、中から魚介類の化石が出てくるという、何でもありな海辺であった。そして、その附近の崖には、第二次大戦時に掘られたと云われる防空壕跡も遺っている。
私が海に行くときは主に漁港での釣りであったが、海をちょっと離れた市内の小高い場所(固有名詞で云えば、例えば小平会館や神峰公園。他にも建物の高い階や木に登ったりすれば、同じような景色が何処からでも見られた)から遥か遠くの太平洋を眺めるのが、昔から好きだった。高松台アパートというのが当時あって(現在同地にある同名の市営アパートは、当時は存在しなかった)、そこの敷地から公園に降りていく階段脇にあった無花果の木の脇から、町並みの向こうに見える海の景色が、自分の原風景だったのだろう。
尤も今はというと、海など近くにないどころか、海なし県に住居を置いているので、そういう景色は望むべくもない。

先月だったか先々月だったか、ここのデザインを変えたのだが、この「海の夜景」のようなもの(ちなみにこのデザインのテーマ名は、単に"sea(右サイドバー)"だが・・・笑)にしたのは、海が見たくなったからなのかも知れず、現に見るたびに色々と想像が膨らむ(笑)。

この夏は、泊まりがけで、海のある街に出掛けようかな。。。
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2007年07月07日

新歓

を、昨日、やってもらった。
まぁ、たぶんこういうので「される側」になるのも、これで最後だろう。
何でもいいが、飲み過ぎて今日は昼過ぎまで最悪な状態になってしまった。。。
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2007年06月15日

ビ○ーズ・ブート△ャンプ

最近方々で話題のダイ○ットプログラムなんだそうで、職場でもDVDを買ったとか云う人がいて、持ってきていた。
その人のDVDを早速みんなで見たりということが出来てしまうのであるが、それをウチのチームの大将のところで再生していた。
音声は出していなかった(というか、大将がヘッドフォンで聞いているだけなので、我々野次馬どもには聞こえない)が、日本語字幕があり、時に「闘う身体を手に入れるんだ。」などという台詞が出てきて大いにウケる。が、当たり前の事ながら、出演者は皆動作にスピードとキレと柔軟さがある。見ていて、むしろ「そういう身体を手に入れたいよ、先に。」と感想を洩らす人がいて皆笑ってしまうという一幕も。
未だそんなに年でもないのにお腹出過ぎのウチの大将、「見てるだけで痩せるんだろ?」と願望剥き出しのネタを吐いていたが、違うでしょって;;;;
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へそ曲がりな命名

茨城県日立市は南北に細長い地形のせいか、市内にはJRの駅が5つもある。
日立市と十王町が合併するまでは、4つだった。南から順に、「大甕」「多賀」「日立」「小木津」。
当時、その北隣には「川尻」という駅があった。ところがこの駅は、多賀郡十王町にある癖に「日立市川尻町」を駅名の由来に持つという、とんだ一杯喰わせ者で、駅の公衆電話から日立市内に電話するには、市外局番をつけなければ繋がらなかった。
この駅名に騙された人は少なくなかったに違いない(苦笑)。。。
この駅がある多賀郡十王町というのは、2004年11月1日付で日立市と合併した。
長らく茨城から離れているのせいか事情に疎かったが、調べてみるとどうやら合併の約8ヶ月前(2004年3月13日)に「川尻駅」から「十王駅」に改名されたとのこと。

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2007年06月06日

「ハズレ上等企画」の山でイライラするのは終わりにしよう

現在経営コンサルタントの長谷川和廣氏による企画マネジメントプロセスの進め方が書かれていた。

それによると、
(1)背景・経緯、(2)現状の課題、(3)課題改善の可能性、(4)目標、(5)目標達成のためのアクションプラン、(6)経済性、(7)他に与える影響。

ですか。大変勉強になりました。
しっかり活用させて頂きます。m(_ _)m

ITmedia エンタープライズ:「ハズレ上等企画」の山でイライラするのは終わりにしよう
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2007年05月13日

結婚式

今日は、某S寮の同期の結婚式が勝田で開かれた。
去年、一昨年と葬式が目白押しであったが、喪が明けた後(去年の1月末には祖母がなくなった)だったので、出席を断らずに済んだ。

朝10時から挙式、披露宴も13時でお開きとなった。
こんな時間だから勿論、二次会もなかったが特に不満があるわけではない(夕方まで間が持たないし、あんまり帰りが遅くなっても、明日からの仕事のことが気になるし・・・笑)。

一昨日あたりからの寝不足と、先週からの疲れが全く抜けていないこともあり、21時ごろから早くも頭痛が始まっている。
水曜まではこのまま突っ走って(=残業して)、木・金はペースダウンできるように持っていくとするか。。。。

折角縁があって結婚したのだから、末永くお幸せに。>新郎・新婦どの。
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2007年04月22日

総会、統一地方選挙(2)、俵屋

今日は統一地方選挙の投票日その2。今日で取り敢えず自分が投票に行くのはこれでお終い。
市議会程度になってくると、期間中に選挙カーこそ見かけるものの、市政の中でどんな施策を提案していくつもりだとか、そんなことは意外と見え難い。その前に、今の市政の問題点に触れて「自分はこうするつもりだ」ということまで言う候補にはなかなかお目にか掛からなかったが。
そうは言っても、知りうる限りの情報を元に、投票したりしなかったりすることになる(勿論詳細は明かしません・・・苦笑)。

と、その前に今日は日本チェコ協会/日本スロバキア協会の総会であった。
2年前だったか、総会の直前の時期に、協会のNPO法人化の是非を巡って幹部間での紛糾の末に会が分裂し、NPO化推進を掲げていた当時の会長が退会して別組織を発足させるという出来事があった。
あの年の総会は、事件の影響もあってか、出席者も多く会員の関心の高さが伺えた。
そのとき以来の総会出席であったが、出席者も大幅に少なくなっており、その理由はなんであるのかとつい考えざるを得なかった。

夕方は、某悪党と俵屋に行く筈であった。
「筈であった」というのは、夕方、某悪党と合流はしたものの、その足で店に行ってみたら営業していなかったのである。
今月で店は閉めると大将が前々から宣言していたこともあり、「とうとう店を畳んだのか」と思ったのだが、その割にはのれんが出しっぱなしになっていたことが気にもなったので、既に別の店で食べてしまった後で「どうせでないだろう」と思いつつも電話をしてみたところ、運良く繋がった。
前に闘鶏を見に連れて行ってもらったお礼に渡そうと思い、日本酒を買って持ち歩いていたので、捕まったのを良いことに「ちょっとだけ顔を出させて下さい」と言って、俵屋に出向いた。
大将に会い、今日はたまたま所用で帰りが遅くなり、店は開けなかったこと、最近店舗の賃貸契約を更新し、少なくともあと1年は営業することにしたことなどを聞いた。
後者は予期していなかったので、また暫くこの店の軍鶏その他が食べられるかと思うと、嬉しい驚きであった。

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2007年04月16日

2007年04月15日

結婚式

学生時代以来の友人から電話が掛かって来た。私は来月、彼の結婚式に行くことになっている。
用事はそのことで、前日宿を取っておこうかというお気遣いだったが、私の方は、別に泊まらなくても行ける距離だし、第一挙式する本人は何かと入り用だろうということで、謝してお断りした。

ところで結婚式と云うのは、新婦になる方がマリッジ・ブルーになるとはよく聞く話だが、彼によると男も結構ブルーになるそうだ。
私が聞いた事のある「女のマリッジ・ブルー」とは内容が違うようで、彼の場合、主に結婚式の準備をするにあたって、周りとの人間関係で悩んだり(自分の結婚式に呼ぶってことは、普段以上に気を遣う)、相手の何気ないリアクションにグサッと来たりするところから来ているようである。

きっと今の彼のような立場に置かれた時に、人の普段の心配りのありようが良く見えるんだろうなぁ、と思いつつ。
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2007年04月06日

「クリーニング屋」違い

朝、いつもより30分ほど早起きして、出してあったスーツを取りにクリーニング屋に行って来た。マンションの入り口まで帰ってくると、作業服姿の50代くらいの男がオートロックのドアの前に立っている。私がその脇を通り過ぎて中に入ろうとすると、スルスルと一緒に入ってきた。正当な理由もなく人を入れるわけにも行かないので、男に質した。
詳細は忘れたが、内容はほぼ下記の通り:

私:「あの、ここに何か用ですか?」
男:「クリーニング屋なんですけど、503号室に行きたいんですけど」
私:「503号の人、インターホンに出ないの?」
男:「ええ。」
私:「じゃあさ、人居ないところに入ったってしょうがないじゃないですか」

・・・しかし、更に話をしていると、503号室は今日、これからリフォームなんだとか・・・って、「リフォーム」?

そう、彼は洗濯物なんかにはまるで用はなく、「部屋のクリーニング」を仕事とする人なのだった。。。。orz.
そこまでは分かったが、だから彼が本当に建物内に入っていい人物かどうかは私に判断出来ることではない為(もし仮に彼が犯行を行う目的を持っていた場合、後で「誰が建物に入れたんだ」ということで責任を負う羽目になるし)、勝手に中に入れるわけにも行かない。
結局外で暫く待ってもらうように言った。
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2007年04月01日

振り返れば

明日は入社手続きの日で本社に出向く。手続きやら何やらがあって午前中に終わるとも思えないが、早く終われば通常業務の方にも戻る予定である。が、通多分そっちはお休みということになりそうだ。
その書類の関係で用事が出来たので、夕方、大宮の叔父宅へ出かけた。
今日は叔父と、祖母の思い出を随分と話した。叔父の中学時代の趣味であったらしい「Uコン」の話や、既になくなった叔母(祖母の第一子だった)の話やら、漸く名古屋の家を処分する話を進められる状況になったとかいう話もあったが、やはり祖母の想い出話が割合として大きかった。
きっと叔父も話したかったのだろう。

この週末は、今年の花見どきで、川口西口公園の桜もほぼ満開。あちこちで花見客がシートを広げて座り、呑んだり食べたり喋ったりを楽しんでいた。
祖母が生前最後に迎えた春は、丁度日立の桜が満開の週末に、私が車で日立まで祖母を迎えに行った。途中日立市内の桜並木を走っているときは、祖母にデジカメを押し付けて「撮って撮って」等と云いながら車を運転し、大宮まで送っていった。
桜を見ると、ついその日の光景を想い出す。


好きな冬が終わり、嫌いな夏へ向かっていく。
春は、草木は芽吹き、生命の活力を感じる季節。
そこから自分は置いてきぼりにされるのではないか、という漠然とした不安と
心地よくなった風を素直に喜べない不快さと
しかし誰にもどうにも出来ないし、自分でもどうなるわけでもない。
それでも月日は巡り、季節もまた、巡っている。
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PHS

諸事情(というか、単純に携帯通話料金の問題だが・・・)により、PHSの新規契約に踏み切った。
070発番の相手との通話が基本的に定額(且つ割と低めの料金設定)というのがポイントだった。普通、ここまで来たら携帯は解約となるところだろうが、今回は取り敢えず解約は考えないことにした。何故かというと、
 (1)100〜200人いる、携帯の番号を知る知人達への周知が大変。
 (2)PHSでは電波の入らない場所がある筈(電波の飛ぶ範囲は携帯より狭いし)なので、場合によっては困ったことになる。
 (3)別に携帯をこのまま解約しなくても、予定通りの使い方をすると、月額5,000円くらい出費が抑えられる(死)。
という問題があるので。
WILLCOMのPHSって、機種によってはWindowsが載っていたりして、もうモバイル機なんだか電話なんだか良く分からないくらいのものになっているが、そうでない機種でも、webブラウザにOperaが採用されていたりして、通話以外の部分もかなり充実している。
今まで使い慣れてきた DoCoMo の携帯とは操作体系が違うようで、慣れの期間がちょっと必要だが、感覚的に理解できれば、後はどってコトもないだろう。



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2007年03月29日

千円札で遊んでしまう人

「我輩は猫である」(注:「吾が輩は猫である」ではないらしい)
http://www8.ocn.ne.jp/~arumasa/
http://www.dsnw.ne.jp/~hoikenta/hoi/act/orisatsu/orisatsu.html

「ターバン野口」
http://tuerbannoguti.blog74.fc2.com/
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移籍

昨日、4月からの移籍先の会社に行き、入社手続きなどを行った。
そして今日は、出向先の現場でミーティング。来月から社員になるということで紹介をして貰い、一言挨拶をということで喋った。
何を喋るか余り考えていなかったこともあり、かなり噛み噛みでみっともない挨拶になってしまった。
が、多分一番の理由は、人前で話したり、営業トークをする場面から長らく遠ざかっていた為、経験値が下がってしまっていたからだろう。
職場でも立場が大きく変わるので、意識も入れ替えていかなければならない。

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2007年03月27日

京浜東北線

昨日は架線トラブルということで、運転見合わせとなってしまった。...続きを読む
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2007年03月26日

能登半島沖地震

日付け変わって昨日になるが、午前9時42分頃から数回に亘って、能登半島沖を震源とする地震があった。地震の揺れが酷かったのは、最大で震度6強を記録した能登地方とのこと。
父方は金沢を中心とする地域に居るので、心配であった。が、報道を聞く限り、金沢市近辺はあまり大きな被害はなさそうであったので、電話をするのは夜まで控えた。
21時前頃に、石川県内に住む伯母に電話をする。取り敢えず怪我をすることもなく、大したことはなかったとのことだった。しかし地震などの災害が少ない地域だけに慣れておらず、かなり怖かったという。
伯父にも連絡をと思ったのだが、連絡先が・・・(_ _;
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2007年03月24日

光陰如矢

京都の友人が亡くなって2年が過ぎた。今年は三回忌である。
一周忌の折には、故人とご両親の許へご挨拶に伺ったのだが、今改めて月日の流れ去る速さに慄然たる思いを抱いた。

近しい人を亡くした悲しみから立ち直るのに「その人の事を忘れるのではなく、居なくなったことに慣れなさい。」という助言の仕方を、昔、どこかで知った。何処でどのように知ったのかは思い出せないが、かなり前のことではあった。

件の友人は思うところあって、死の直前3,4ヶ月を費やして、病魔と闘いつつ半生記を書き、更に近しい人達に依頼して寄稿集を作った(尤も寄稿集の方は、出来た頃には既にご本人は他界されていたが)。元々優秀な頭脳(ちなみに京大大学院修士課程修了)と、常人離れした几帳面さとをお持ちだったからこそ、こういうものが残ったりするのであろう。

それらの冊子には、一人の人間が問い続けた「生きる意味」「この世に一人の人間として存在する意味」(...と、私は解釈している)と、周囲の人達にとっての濃密な時間の中身が文章として記されているわけだが、(表現は控えめであっても)そこには強い感情の吐露があり、それを一つ一つ受け止めていくのはエネルギーの要ることである。

普通はなかなか、こういうものの執筆者の一人となる機会はないであろう。
書くことは兎も角も辛かったが、色々なことを考える機会を与えられたことでもあった。

本についての情報は、「ある友人との想い出のために」というサイト内にある。
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2007年03月21日

彼岸

21日は墓参りでそちらの方に行こうと思っているが、都合はどうか、と母から電話があったのは数日前。考えてみたらお彼岸だ。
母方の祖母の墓参りである。
墓は今年の1月末に出来たばかりで、以来初めてのお彼岸であった。

午前中に墓地に着き、墓参を済ませられるはずであったが、道はどこも混雑していた。休日の午前中はあまり混まないところまで混んでいたので、ちょっと異様な感じがした。恐らく、年度末で役所が予算消化のための道路工事などをやっていることと、墓参に出掛ける人の乗る車が多かったというのが理由ではないだろうか。今日は丁度春分の日で、大概の人は仕事がお休みだし。

母とは現地集合と言うことになっていたのだが、車で実家からやってきた母も、私と同じく大渋滞に巻き込まれて約1時間遅れての到着であった。

祖母の生前に「あんた、般若心経くらいは読めるようになりなさい。」ということで渡されていた、永平寺の経本を取り出した。母が「見せて」というので手渡すと、一瞬「ふーん」という顔をした後、徐に読経をし始めた。
#あれ、私が読もうと思っていたんだけどな(苦笑)。

帰りも渋滞は酷かった。
普通の道路状況であれば1時間掛かるか掛からないかの距離の筈だったが、2時間近く掛かって漸く帰り着いた。

母と一緒に来た妹達は大分顔つきが細くなっていた。元々太り気味なので結構なことだと思って話を振ったところ、「でも体重は増えた」んだとか。
自分も高校生の頃に体重が増えたにも拘わらず顔が痩せた時期があるので、一応身に覚えがないわけではない。
ま、そんなこともあるわな(笑)。。。
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2007年03月19日

関西弁、或いは大阪弁

先日、有楽町に出掛けて用事を済ませた後、そのまま時間調整のために喫茶店で読書しながら時間を潰していた。
時間帯のせいか、客が少なく、ちょっと離れた席で喋っているカップルの声が良く聞こえた。20代前半くらいであろうか、女の子の方は関西弁であった。

関西弁で楽しそうに話している声を聞くと(とはいえ、聞き耳を立てていたわけではないので念の為)、社会に出たての頃、三重に住んでいながら京阪神地区に住むピアノ仲間達と楽しく過ごした日々のことが想い出される。
関西の言葉は、ものやわらかく、愛嬌があって良い。

私自身は関東人だから、元々は、関東人によくありがちな「関西弁嫌い」があった。しかし、就職によりそれまで何の縁もゆかりもなかった三重に住み始め、そこで土地の言葉に慣れ親しもうという気があったこと、また、伊勢弁と同系統(木曽三川を渡ると方言の系統はがらりと変わる)に属する関西弁、或いは大阪弁を話す人達との良い出会いがあったことにより、ニュアンスや言葉遣いの違いを肯定的に吸収できる機会に恵まれたお陰で、伊勢弁に慣れただけでなく、関西弁も好きになった。

嘗て、意味するところを知らなかったが為に、関西弁を話す人に云われてカチンときた言葉に「邪魔くさい」というのがあった(そういう勘違い的なものが他にも色々あったが)。関東人が口にしたらかなり感じの悪い言葉で、それもその筈「邪魔だ(だからどっか行け)」という表記そのままの意味にしかならない。しかしあちらでは「面倒臭い」程度の意味であった。

当時の雑多なことと一緒に、そんなことを想い出していた。
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