2013年06月08日

メールフォームへのリンクを外しました。

一昨年年末あたりから二つ目のSNSを始めたり、twitterを使い始めたりした影響か、こちらに書くことがすっかり少なくなっていました。
それぞれに使い分けの必要があるかもしれません。
今後こちらに書くのは、対外的に(twitterでは書ききれない程度の)長めの文章で発信したいニュース的な記事、或いは既にどこかで報じられたものへの反応に絞っていこうかなと考えています。
#他に書くとすれば、音楽系駄文かなあ(笑)。

最近、ここからリンクを貼っていたメールフォームに、外国人と思われる人物によるSPAMメールの投稿を試みるアクセスがだいぶ増えてきました。
幸い、自作のメール送信CGIはフィルタリング機能が上手く効いていて、そうしたメールが実際に私の元へ送信されることはありませんでしたが、念のため取っていたlogにそうした痕跡がかなり残っていました。(^^;

そういうこともあって、このblogから張ってあったメールフォームへのリンクを外しました。
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2012年07月07日

同窓会

中学時代の同期との同窓会があった。
同窓会・・・とはいっても総勢たったの3人(^^; で、私から見て、一人は中一の同級生、もう一人は部活の同期(同じクラスになったことはない)。
この二人は小中が一緒で(私だけ違う小学校に通っていた)、中学の近くの公園でよく遊んだ仲だったとか。
中一の同級生とはここ何年か、ほぼ年に1回のペースで会っているが、部活の同期の方は、酒の席で一緒になるのは初めてだった。中学の頃は何となく合わない気がして正直苦手な相手だったけど、こうして一緒に飲んで話したら、穏やかに人の話を聴き、自分の考えを話す。単にお互い「オトナになったから」なのかもしれないし、普通にまともといえばそれまでだけど、なんだ良いヤツじゃん、と思った。
嘗て彼自身が通っていた空手の道場に、今は娘さんが稽古をしに行っているそうで、その縁で本人はそこへ指導をしに行くらしい。
仕事を終えて、空手を指導して、疲れているだろうに、それから合流してくれた。

やはり地元にいると色々情報の行き来もあるようで、同級生の消息も教えて貰った。誰が誰と結婚したとか、そういう話。
やっぱり、土地を離れるとその手の話題に疎くなってしまうのは、しょうがないわな。。。

中一の同級生とはもう何度も呑んでおり、片方が辛いときにもう片方が話を聴く、ということもしばしばあった。もはや思い出話よりも今の話をすることの方が多くなっている。が、部活の同期とは、会うこと自体20年ぶりで、「あの頃」話をいろいろとした。

当時苦手だった相手と楽しく過ごす時間を共有出来たのは、大きかった。
二人に「ありがとう」と言いたい。
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2012年03月10日

學燈

大学生の再従兄弟が関心のあるらしい某大学の先生(だけど大学が違う気がする)が最近、丸善の雑誌「學燈」に教育論を投稿したらしい。

「學燈」といえば高校の頃、現代文の先生に「受験の国語『學燈』という月刊誌があるから購読してみろ」と言われて市内の本屋(大島書店)に頼んだのだが、私が本屋に「學燈」としか言わなかったため、丸善の方が来てしまった。先生に奨められた方は、學燈社というところが出していた。

そんなことともつゆ知らず、3ヶ月ほど買っていたが、先生が言ったテスト(回答して送ると採点してくれる)も付いてこないし、どうも本の紹介ばかりしか載ってない。
流石に様子がおかしいと思い、そのことを先生に話して初めて、二人とも「學燈」が上記の2種類あることに気がつくことになった。
それが分かってからすぐ本屋に話をして、取り寄せを學燈社の方の本に切り替えてもらった。
思えば、おかしな間違いではある(苦笑)。
テストの方はなかなかホネがあって難しかったけど、2,3回ほど、上位に名前が載った。
当時の私の頭の中では、学校で習う現代文の考え方は技術論であって文学その物ではない(というか、文学を理解するための技術)ということになっていたが、前者の意味においてかなり良い影響を受けた雑誌だった。面白かったしね。

丸善の『學燈』に関しては、あの時期にこれを読んでいなかったら、「鼻行類」などという生物群の論文との出会いはなかっただろうな、というのが唯一の思い出だろうか。
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2012年02月19日

運転免許更新

今日は運転免許の更新に行った。
今回初めて優良ドライバー(所謂ゴールド免許とかいうやつ)に。
前の2回は、いずれも更新期間直近1年でつまらないことでパクられていた。
「荷物を降ろすために自宅前に駐めて、ついでに30分くらい休憩して出てきたら、黄色いカッコいい札がついていた」とか、「初めて通る交叉点、見晴らしは悪くないがちょっと複雑だったので、他の車の出入りを充分見極めた上で進入したところ、取り締まり中の白バイ隊に呼び止められて一旦停止義務違反の切符を切られた」とか。
ちょっと気をつければ済むようなところが抜けていたわけで、恥ずかしい話ではある。

最近ちょっと気になっていた、近年新設された「中型免許」だが、平成19年以前に普通免許を取得していた人は、施行後の更新時に自動的に「中型免許」になるとのこと。
私も今回そうなった一人。
よくよく講習で話を聞くと、所謂「限定免許」という奴で、中型の対象になっている全車種を運転できるわけではなく、更新前と同様、総重量が8t(積載重量ではなく)までしか運転出来ないとのこと。
4t車幅の3t車(トラック)だって練習なしでは怖かったのに、免許の更新だけでいきなりマイクロバスが運転出来るようになっても良くない気がする(そんなのが自分の車の周りで走ってたら怖い)。限定免許になること自体は悪くないと思うけど何だってこんな中途半端「限定免許」な人を大量生産するようなカテゴリ分けになっているんだか・・・<中型免許

明日は定期検診があるので、既に飲食禁止。
昼頃に終わって、後は休みだからそれは良いんだけど、下剤の効き具合が若干心配だったり。
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2012年01月28日

散策

明日、母方の祖母の七回忌があるので、従姉が名古屋から来た。
祖母が本来最期を迎えるべき土地でそうなっていたら、行く方と出迎える方が逆になるはずだったが、晩年、祖母は長男の許に引き取られ、亡くなった後は墓も埼玉に引越し、法事もこちらの方でやるようになった。
母方の親戚筋の殆どは今でも愛知や岐阜にいることもあり、祖母が埼玉に移って以来、本家で親戚が大人数で集まっる機会もなくなった。
子供のころのそういうときと比べると、ちょっと寂しい気がする。仕方ないことではあるけれど。

一日早く来た従姉のリクエストで、bunkamuraでやっているフェルメール展を観た。40点くらいある展示品のうち、フェルメールのものは3点のみ。なのに展覧会の冠になるなんてすごい影響力。
#画は色々と面白かったが、細かいことは省略。(^^;

その後あれこれ散策した後、叔父夫婦と合流し、晩飯をご馳走になった。
夜は叔父のおごりだったが、お昼も従姉にあれやこれやと言いくるめられてご馳走になってしまったので(こっちがおごるつもりだったので『伝票返せ〜!』と言ったけど却下)、結局今日は自分の金で何も食べてない(喫茶店でお茶をご馳走した程度)。

...ちょっと食い過ぎた。

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2011年03月17日

震災翌々日

朝6時半過ぎ、実家のドアのチャイムのボタンを押した。
停電だから鳴るまいと思ったが、やはり鳴らなかった。
ドアをノックした。
誰も出てこなかった。
強く叩きもしたが、やはり誰も出てこなかった。
持ってきた鍵で開けて、入った。
寝室に踏み込んだ。
寝ていた。
死んではいなかった。

疲れているだろうに可哀想だとは思ったが叩き起こし、親戚一同が如何に心配しているかを伝え、「近くに公衆電話があって、それは使えるのだから皆に連絡して安心させるように」と言って、持ってくることが出来たものだけ渡して、すぐ引き返した。
急いで引き返し、物資を積んでもう一度来なければと思ったからだったが、それは既に無駄な思案であったことを、その日の夕方までに思い知ることとなったのだった。
またも渋滞に悩まされつつ漸く帰宅したのが午後4時過ぎ。しかしその頃には近所でも買い溜め(?)が始まっており、水もガソリンも全く手に入らなくなっていたからだ。
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2011年03月16日

震災翌日(3)

結局、水戸で泊まるのは諦めて(寝るとき用にポケットウィスキーまで買い込んだのに!)、実家まで向かった。
実家の近くまで来ると、通行止めに阻まれた。
こんなときにちゃんと警備員がいて(しかも深夜1時半頃)、迂回を指示された。
道路沿いの石塀が崩落して、通行は危険だからという。
「この先に行きたいんだ」と説明すると、実際の崩落現場の手前までは行って良いとのことだったので向かってみたが、実家の最寄りの交差点にたどり着く前に、崩落現場に着いてしまった。
車を駐めて様子を見たかったが、停電で街灯はついておらず、更に車にも懐中電灯等の準備がなかった為、全く視界が効かず引き返すしかなかった。
しかし、迂回するとすんなり実家にたどり着くことが出来た。
しかし、午前1時半。
どうにも踏み込む気になれず、よく考えると馬鹿げていることだが、結局翌朝6時半過ぎまで車中で待っていた。

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震災翌日(2)

途中、交通事故も多かった。後の話になるが、帰ってくるまでに少なくとも5,6件の交通事故現場を通過した。
記憶は正確ではないかもしれないが、その殆どは、信号が死んでいる交差点でのことだったようにと思う。

今は仕事の関係で大阪に住む、小中学時代の友人と漸く連絡が取れたのは、千葉から茨城に入ったあたり。確か20時頃だった。彼曰く、私や彼の実家のある市内では、ライフライン(水道・電気・ガス)が全て寸断されており、持って行くならカセットコンロのボンベやペットボトルの飲料水、乾電池などとのことだったが、全く用意していなかった。しかし、今からでも手に入るものは持って行かねばなるまい。
そう思いつつ、しかし方々で停電になっている県内の状況に驚きつつ、コンビニに立ち寄ると、どこも水はなく、すぐに食べられる種類の食料もなかった。しかもそれはまだマシな方で、酷いところは停電している為に営業すらしていない。
やっとのこと、お茶やスポーツドリンクを2,3本、栄養ドリンクを実家の家族に一人2本ずつ手に入れた。
しかしその後も渋滞は酷く、もう途中の水戸で泊まって翌朝到着を目論んだのだが、水戸市内では泊めてくれるホテルを見つけることは出来なかった。
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2011年03月15日

震災翌日

泊めて貰った家で朝食をご馳走になってから出て、翌3月12日、電車に乗ったのが確か10時台。
それでも私が帰る方向は電車運休で阻まれて、結局最後はタクシーのお世話になった。渋滞が酷く、深夜料金よりも高くついた。
そうまでしてでも急いで帰らねばならなかったのには、わけがある。
実家の安否が不明で、しかもそのことについて親戚中から問い合わせが殺到していたからだ。実家との確執はさておき、これだけは確認しておかねばならない。

帰宅したのが13時半頃。家に入ると、まず玄関からして散らかっていた。部屋の中も酷い。
部屋の散らかり具合にゲンナリしつつも、取り敢えずシャワーだけ浴び、メールなど確認して、家を飛び出した。それが16時前くらい。
このとき、実家のある茨城に関して、報道から得ている情報といえば、常磐線および常磐自動車道の不通くらいである。一般家庭がどうなっているかなど、知る由もなかった。

そんな状況だから、移動するにあたって、「車で下道を往く」という方針だけが出来る。
小山の方をまわるルートよりも、三郷あたりから国道6号を行く方が距離的にも短いので良さそうだと判断し、そのように動いたのだが、渋滞激しく、茨城県内に入るだけで4時間ほどかかってしまった。4時間といえば、いつもならDoor to Door の所要時間よりも長い。
茨城県内に入ると、場所によっては街灯はおろか信号まで消灯している有様。電気が来ていて開店しているコンビニに行けば、食料と飲料が全くない。報道は、茨城を少々軽視し過ぎていたと思う。「こんなことなら出発時に買い揃えてから来れば良かった」と思ったが、最早手遅れだった。
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震災

4日前の3月11日(金)15時少し前にあった地震は、未曾有の大震災だった。
当時、職場でいつものように仕事をしていた。数日前に地震があったが、外に比べてかなり揺れが少なかった。それがこの日は、自主的に机の下に潜ろうと思うほどの激しい揺れであった。尤もそれほどの揺れでこのビルが崩れるくらいなら、机の下に潜ったところで、瓦礫に机もろとも押しつぶされて、どのみち助からないだろうとは思ったが。
それでも幸いビルは崩壊せず、自分を初め、職場の面々も助かった。
仕事柄、各自の席にTVがあって、その気になればニュースなど見ることが出来たりするのだが、この日はその後、そういうことになった。
宮城県方面では、津波が押し寄せた。その映像をリアルタイムで放送していて、まるでパニック映画のシーンを見ているようだった。が、それが演技ではなく事実であるだけに、戦慄することもひとかたではなかった。

その後、退勤命令が出て、ひとまず帰ることになったのだが、交通機関、特に鉄道は完全に麻痺していて、どこへ帰るにしても徒歩での移動を強いられる事態になっていた。
私の場合は徒歩帰宅圏外なので職場に居残るという選択肢もあったのだが、飲食物を確保した上で強引に退勤した。
家の方向を目指して約2時間。西麻布交差点付近にたどり着いたところで流石に無理だと悟り、近くに住む知る辺を頼って泊めて貰った。
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2010年11月24日

大福茶

お茶っ葉が切れたこと、来年はヴァーグナーに手を出すことに決めたのでYAMAHAで楽譜の下調べをしたかったことなどがあって、21日の発表会の疲れはまだあったが、池袋まで出掛けた。

ヴァーグナーは毎年、年の瀬の深夜にNHK-FMでバイロイト音楽祭の録音を放送しているのを、することがないので仕方なく聴くくらいで、全く興味も関心もなかった。しかし、「ヴァグネリアンな作曲家を知ろうとする行きがかり上、ヴァーグナーのことを知っておいた方が良いかな」と思った。そういうわけで、「ヴァグネリズムとはなんぞや?」「何で彼らはヴァグネリアンとなったのか?」「作曲上、ヴァーグナーの影響を受けたとはどういうことか?(は、1番目のと同じことかもしれん)」くらいは知っておこうかなと(笑)。

池袋YAMAHAには、ヴァーグナーのピアノソロと連弾の為の曲集を見つけた。Schott版だった。
一番最初に収録されているピアノソナタは習作とでも言うべきもののようで、パッと見芸のない印象。
楽劇のフルスコアはDover版があった。まあこれで良しとしておこうか、ということでチェック完了。

取り敢えず、ヴァーグナーは来年まで封印。


お茶は大概、池袋西武百貨店で買うことが多い。一保堂が店舗を出しているからだ。
私が家で使っているのは、母方各務の祖母が最晩年まで愛用していた、備前焼の急須と湯呑み。
祖母の長男(母の弟にあたる)である叔父は備前焼には興味がないので、そういった品の殆どは私が引き取った。そういう経緯で私の手許にある。
呉服の商売をしていた祖母は倹約家であったが、着るもの(これはそっちのプロなんでしょうがない)とお茶と陶器には贅沢をしていた。そんな祖母が大好きだったのが、一保堂のお茶。
祖母の茶道具を使うときは、祖母のことを必ず思い出す。そして「これも供養のうちだ」と言い訳して、安くもない一保堂のお茶を淹れて、飲んでいる。
「大福茶」とは、一保堂が年末年始限定で売り出している、玄米茶の銘柄。通常の玄米茶よりも、緑茶葉の風味がしっかり出るようなブレンドになっているとのこと。
縁起も良く、煎茶よりも値段が安かったので、今回はこれにした。
次の週末まで呑むことはないと思うが、ささやかな楽しみではある。
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2010年10月30日

台風と練習、開かずのワイン

今日は、連弾合わせ練習の日だった。
しかし、台風が午後〜夜にかけて最接近するとのことで、池袋のスタジオで予定していた合わせ練習は、相方に電話して、急遽取りやめることになった。。。

しかし、当日キャンセルしてもキャンセル料が取られてしまう。それが悔しくて、結局一人でスタジオに向かった。
いつも、西武口方面から地下道を通ってキンカ堂の出口を昇って地上に出るのだが、暫く来ないうちにキンカ堂は閉店。出口は閉鎖されていた。
「なにも出口まで閉鎖しなくても良いだろう。」と思うのだが、元々ここはホームレスがよく屯していたので、管轄者(JR?)としても、理由もなく開けておくのは嫌だったのかな?とも思う。
仕方なく、もう少し先の、地下道終点まで歩き、地上に上がってから横断歩道を戻る方向に渡って、スタジオ入りした。
スタジオの予約は4時間取っていて、当初は1時間自分の個人練習、3時間を合わせ&その場での個人練習で配分するつもりだったのだが、一人で来てしまったので、そのまま一人で弾き倒した。
いろいろ、尻に火がついているので、そういった曲を浚っていたのだが、それだけで4時間が過ぎてしまった。
どんなことがあっても何とかしなきゃいけないのは、12月に弾く歌曲「我が月のマドンナ」の伴奏と、11月に弾く予定の「ピアノ連弾の為のソナタ」、ノヴァークの「月の夜の歌」。
時間の殆どを「月の夜の歌」に割いたら、大分進んだ。毎日これくらい腰を据えて練習出来たら、3週間くらいで仕上がるのに・・・・(既に2ヶ月掛かっている)

帰りは、西武百貨店に寄った。
池袋に来て、時間があると必ず見て歩く。人にものを贈るときに、贈る必要が出てから見てもなかなか時間が掛かって大変なので、普段から色々見て目を養っておこうという魂胆である。
話は変わるが、うちには栓の抜けない安いワインがある。
スプリング状のコルク栓抜きを一度突っ込んだがびくともせず、扱いに困っている。
そこで今日は、西武百貨店で栓抜きも物色してみた。
私が欲しいのは、金属の平たい足が2本出ていて、それぞれ瓶とコルクの間に差し込み、引っ張ることによってコルク栓が抜けるというモノ。
しかし、売ってなかった(なんで〜〜〜?!!!!)。。。

あのワインが片付かないと、冷蔵庫が手狭で困るんだけどな・・・
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2009年05月23日

チェコ国民劇場が登場するTVCM

今は世の中のウェブサイトを片っ端から勝手にバックアップしているサーバがある。
おかげで、既に消滅してしまったサイトのコンテンツも、そこからある程度は閲覧することが出来たりする・・・

本家サイトの掲示板の過去ログを読んでいた。
ここによく遊びに来てくれていた友人の一人(残念ながら故人となった)が、カーナビ(PioneerのDVD[楽ナビ])のCMにプラハのチェコ国民劇場の付近がロケに使われていると教えてくれた書き込みが残っていた。
そうだ。そんなこともあった。
ウェブからダウンロードしてムービーも見た。

久々に見てみたくなったが、もう5,6年も前のCMだったし、製品のサイトごと消滅していた。
そこで、最初に書いたサイトから take backして、ムービーを眺めていた。
何と便利になったことか。
CMは、妻子と別れた喪失感を漂わせて、一人寂しく車を走らせる男・・・と思わせておいて、実は奥さんと子供が後部座席にちゃんといて、DVD[楽ナビ]で映画を見ている、というオチがつくストーリー。終わりの方に国民劇場が映っていた。
でも、なぜか登場人物が喋ってるのはチェコ語じゃなくてフランス語だったりして(笑)。


ムービーはここからDLすることが出来る:
http://web.archive.org/web/20040815230745/http://www.dvd-rakunavi.com/tvcf/index.html
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2009年03月01日

検索語「唇が切れる」で辿り着いた方へ。

最近、「唇(が)切れる」などの検索文字列での検索の結果、ここに辿り着く方がかなりいるようなので、ちょっと書いておきます。

1.胃の状態を改善する
  色々積もり積もった結果、食習慣を変えたわけでもないのに、
  ある年から突然なることもあります。
  私の場合、これが原因でした。
  ほぼ毎日だった飲酒を週末だけにした結果、真冬でも切れなくなりました。
  その他、刺激物も摂取しないようにすることも必要です。

2.ビタミンを摂取する
  みかんを毎日食べるとか、ビタミン剤を飲むとか
  胃が弱っているのが原因である場合は、幾らこれをやっても、全く効果ありません。

3.ナイアシン不足を改善する
  これが原因の場合もあるようです。
  食事で改善できるようですが、詳しくは医師に相談して下さい。

他にも原因はあるかも知れませんが、私の知る限りではこんなところで。

参考までに、ここで書いた関連記事の一覧を。
 「唇が切れる」の関連記事
posted by D(各務) at 22:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2009年01月05日

仕事始めとお土産

今日は仕事始め。
職場の同僚達は実家に帰ったり、遠出したりした際のお土産を持ってきていた。
私はこの年末年始は家で大人しく過ごしていたので、今回は「頂く方専門」であった。

お土産は、貰っただけで4種類くらいあったが、その中にビックリしたものが1つあった。
浪花製菓の「柿の種クランチ」。
「柿の種クランチ」の形状は板チョコ状ではないが、明治かどっかが出しているようなアーモンドクランチチョコのようなものを想像して欲しい。
そのアーモンドの代わりに、柿の種を細かく砕いたものが入っている。柿の種だから、当然その醤油系のしょっぱさが、チョコレートに混じって舌に伝わってくる・・・

「うっそだろー!(@@;」と思ったのだが、ネット上で検索してみると、案外世間の評判はいいらしい。

製造元:
 元祖柿の種 浪花屋製菓株式会社
※ちなみに、「元祖 浪花屋の柿の種のテーマソング」というのがあって、楽譜とMP3音源が掲載されている。
「元祖」というのは、この会社が現在の柿の種を最初に作ったからだとのこと。
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2009年01月01日

2009年

今年もどうぞ宜しくお願いします。
新年早々にアレですが、先般の怪我の方は、昨日抜糸して、経過も順調とのことでした。
ご心配頂いた方々には感謝です。m(_ _)m

さて、このblogとしては、相変わらずの傾向で2009年も書いてみようと思っています。

今年も記念年の音楽家は沢山いるようですが、詳しくは、ken様の「がたがたへりくつクラシック」に詳しいので、そちらに譲ります。(^^;

うち、個人的関心からは、マルチヌー、ゼレンカ、ヴィーチェスラフ・ノヴァーク、フェルステル、ヴァニュハルあたりで何かあったらいいのになーと思っています(^^; が、どうなることやら。
でも、「もし」盛り上がることがあるとしたら、R.シュトラウスやロドリーゴあたりでかな?


自分の方は、演奏会や録音の視聴記に紛れて、練習記を書くことになるかと思います。
最近余り書いてなかった、ノヴァークの《英雄ソナタ》が大分煮詰まってしまったような気がするので、こちらは比重を落として、別なものにもなるべく手をつけようかなと。
連弾モノはお約束があるので、それらはやるとして、あとはFibichの《山々から》Op.29 を。
個人的には、ピアノ連弾の為の《バガテル集》Op.19、同《ソナタ》Op.28 以来の「恋愛モノ(?!)じゃない」Fibich作品への取り組みとなりますが、《気分、印象〜》を除くと、作品番号のついたFibichのピアノ独奏曲って、意外に少ないのでした。

この休み中に、ピストン/デヴォートの「和声法」を読み始めました。まだ本当に少ししか読んでいませんが、色々『目から鱗』なことが書いてあり、なるほど良著らしいと思いました。
ただ、譜例の印刷の品質が著しくダメですが。
#もうちょっと何とかなった筈では?>音友@出版元

それから、ちょっとした大仕事。
去年発掘したピアノ教本を出版社に持ち込もうという話が出ているので、今年は何とか具体的に走り出させたいなと思っています。

本業もあるので、自分の方はまぁこのくらいですかね。

あ、本家の方が今年の10月で、開設満10年ってのがありました。(((((^^;
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2008年12月24日

済みませんが

既に頂いているコメント等へのレス、まだ書いていないものもあり、早くしなければと思っているのですが、私の個人的な事情により、不本意ながら少し時間が掛かってしまうことになりそうです。
メール等(緊急性のない場合)も同様です。

遅くとも、何とか年明けには復活しようと思っていますが・・・
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2008年11月07日

筑紫哲也氏 逝去

TBS NEWS23のキャスターだった、筑紫哲也氏が本日午後、逝去。
NEWS23は、学部時代から一番よく観ていたニュース番組だった。
報道姿勢に関しては毀誉褒貶さまざまを耳にしている。なかには私もあれは失敗だろうと思うものもあるが、それはそれとして、単なる事実の羅列でない、メッセージの発信を意識した報道番組の作り方というのは、あれはあれでアリだったと思う。
そう思えばこそ、NHKでもなくニュースステーションでもなく、NEWS23を見続けていたと言えるかも知れない。
筑紫氏は一般企業でいう定年の年齢を過ぎて尚仕事をしていた訳だが、しかし天寿を全うしたとまでは言えず、そういう意味でも残念である。
合掌。

web多事争論

【訃報:筑紫哲也さん死去 TBSニュースキャスター】
http://mainichi.jp/select/today/news/20081108k0000m040050000c.html
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朝日新聞記者からTBSのニュースキャスターに転身したジャーナリストの筑紫哲也(ちくし・てつや)さんが7日午後、肺がんのため亡くなった。73歳。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は妻房子(ふさこ)さん。後日お別れの会を行う。

 大分県出身。59年、早稲田大政経学部を卒業し、朝日新聞社に入社した。政治部、返還前の沖縄、ワシントン特派員などを歴任。84年に「朝日ジャーナル」編集長となり、若者のリーダーたちとの対談連載を通じて、「新人類」「元気印」などの流行語を広めた。

 89年に朝日新聞社を退社。同年10月にTBSのテレビ番組「筑紫哲也ニュース23」のメーンキャスターに就任した。豊富な取材経験をもとに鋭い視点でニュースを評しつつ、現場にこだわる姿勢が人気を集め、お茶の間に定着した。

 07年5月14日の放送で、自身の肺がんを公表。後藤謙次・元共同通信編集局長に後継を託し、闘病生活に入っていた。
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【筑紫哲也さん死去:「キャスター」お茶の間に浸透】
http://mainichi.jp/select/person/news/20081108k0000m040100000c.html
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長年の取材に裏打ちされた歯切れのいい言葉で、国際政治からポップカルチャーまでを語り、テレビの視聴者に支持されてきた筑紫哲也さんが7日、73歳で亡くなった。「ニュースキャスター」という言葉をお茶の間に浸透させた代表格だった。

 朝日新聞記者時代には、テレビ朝日の報道番組「日曜夕刊!こちらデスク」の司会者に就任。今では一般的になった活字メディア出身のジャーナリストがテレビ出演をするきっかけを作った。

 「筑紫哲也ニュース23」のキャスター就任後は、開戦直前のイラクで現地取材をするなど、現場にこだわった。98年11月には米国のクリントン大統領(当時)をスタジオに招き、市民との直接対話を実現させて話題を呼んだ。

 TBSのワイドショースタッフが坂本堤弁護士のインタビュー収録テープをオウム真理教幹部に見せた後、坂本弁護士が殺害された問題が、96年に発覚。筑紫さんは当時の「ニュース23」で「TBSは死んだに等しい」と述べ、キャスター降板を考えたことを明らかにしている。

 闘病生活に入った後も、大きなニュースがあった日などに不定期出演する形をとった。今年3月28日放送の「多事争論」コーナーで、番組タイトルから自分の名前がなくなることを明らかにし、出演してきた18年間を振り返った。8月11日には同番組で哲学者の梅原猛さんと対談。これが最後のテレビ出演となった。

 キャスターのかたわら、立命館大客員教授や雑誌「週刊金曜日」の編集委員も務めていた。「ニュースキャスター」(集英社)「筑紫哲也の この『くに』のゆくえ」(日本経済新聞社)などの著書もあった。今年5月には日本記者クラブ賞を受賞している。

 ▽ニュースキャスターの鳥越俊太郎さんの話 同じ時期に新聞社を辞めてテレビの報道番組に転身した、同志であり兄貴分。日本の国の在り方を示し、進むべき道を探る羅針盤のような存在だった。私たちにとって、大きな損失だと思う。最近までネット上で往復書簡を連載していたのに、早過ぎる。

 ▽社民党衆院議員の辻元清美さんの話 政局や政策を相談すれば、的確な分析と具体的なアドバイスが返ってきた。言論の自由と戦争反対の信念を強く持って、自分と異なる意見を排除せず、あらゆる立場の発言や表現の場を守ろうとした人だった。日本が混迷する中で、大きな損失だ。--------------------------------------------------------------
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2008年07月21日

三連休

このところの懸案であった(というと大袈裟な気もするが(^^;)新しい冷蔵庫の調達も、この連休初日に機種選定・手配までが済み、後は納品待ちである。
大体、欲しいもののイメージを先に描いてからモノを見て歩き始めると、私の場合は大概「イメージ通りのものはどこにも売ってない」ということになるので、逆に「どんなものが売られているかを色々見る → どんなものが欲しいかを考える」という順番でやるようにしている。この手順、後で後悔することが殆どないのがいいのだが、時間と気力が有り余っている時でないとなかなか出来ない。

その晩、寿司屋で飲みながら店主とこの話をしたのだが、結局、電気屋を7軒を回ったと話したら驚かれてしまった。そういうものなのかもしれない(苦笑)。

日曜日は、前の晩の飲み過ぎが響いて午前中が潰れ(←馬鹿)、車のメンテ関係で残りの半日が潰れた。
給油やらオイル交換やらタイヤ交換の手配やら・・・全部ガソリンスタンド1軒で済ませても良さそうなものだったが、何となく普段の習慣通りにやったらみんなバラバラだった。
オイル交換は大概イエローハットに行く。今回は別に店内は混んでなかったのだが、1時間半近くも待たされた。意外に待たされるなと思ったら、店内には「オイル交換のネット予約」の広告が出ている・・・そうか、予約して、その時間まで来ないという手があるんだな(苦笑)。
3ヵ月後まで覚えていられるか不明だが、覚えていたら利用させてもらいましょ。<「オイル交換のネット予約」

月曜日、なんだかんだでピアノ全然触ってないなぁと思いつつも、昼から仕事関係の本を探しに池袋のジュンク堂へ。
今更の感のある本だったのだが、まあ読まぬよりは良いだろう、ということで。
帰ってきてから漸くピアノに触る。8月のオフは持ち時間が一人15分とアナウンスがあったため、時間を測ってみた。シューベルトのソナタ D958の第2楽章が7分ちょっと。ヴォジーシェクの即興曲第5番が約13分。全然ダメだ(苦笑)。
今回はシューベルトを入れるのが最優先事項なので、ヴォジーシェクはナシにした。若しこれが出来れば、「共にベートーヴェンの後期に重なる30年余りを生き、ウィーンで活躍し、早世した2人の作曲家」というこじつけをしようと思っていたのだが(笑)。
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2008年05月31日

墓参(当日記)

無事に終わった。
行きは13:40佐和駅着の電車だったが、勝田で特急からこの電車に乗り継ぐ接続が余り良くなかった。
その間、一旦改札を出させてもらえたので、改札前にあるベーカリー(?)で一息入れた。
佐和で出迎えと合流した頃には、雨は小降りになっていた。
4年くらい前の時は豪雨だったことを引き合いに、二人いた今日の面子の一人からは雨男呼ばわりされてしまった(苦笑)のだが、冷やかしもいいところだ。元々5月は月別日照時間が少ないし、6月だって梅雨に入ってから行ったこともあるのだから。
佐和から墓地のある大甕まで、渋滞に巻き込まれる可能性も考えると結構時間が掛かるかもと思っていたのだが、実際には渋滞もなく、あっさり30分くらいで着いてしまった。ガソリン価格高騰の煽りを受けて、無駄乗りする人が減ったからなのかどうかは分からないが。

今回は、せっかくだから飲みに行こうという話が出ていたので、終わった後で水戸に出て飲んでから解散となった。

今日一緒に行った面子は、去年結婚したMと、就職して割とすぐに結婚したNの2人。Mの奥さんはこの日、水戸に仕事で来ていて、退勤後に我々の宴会に合流。酔っ払いオヤジなMの代わりに車を運転して帰ってくれることになった。いいねぇ・・・。
Nの方は子供が一人いる。子供が出来ると、仕事以外の理由で家を空けて出かけるのは難しくなるものらしく、今回は奥さんの許可が下りるような理由が出来て、Nはちょっと嬉しかったらしい(笑)。
そういうことなら、また何かあったら声を掛けてあげるよ。>N
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