2014年05月10日

志村泉ピアノリサイタル チェコ・愛の歌 〜古典から現代まで〜

を、聴いてきた。
プログラムは、先日の紹介記事 の通り。

全席自由だった。到着は開場直後の時間だったが、ホールに入った頃には客席が既に 2/3 ほど埋まっており、開演の頃までには満席になっていた。
王子ホールは決して客席数の多い方ではないが、出演者の実力があっても、広報・集客にもきちんと力を入れていなければ、なかなかこうはならないだろう。

さて、聴いた印象からプログラムの構成に一言添えてみる。
今回のプログラムで唯一組み込まれている現代音楽、ヤン・ノヴァーク [Jan Novák] の「半音階的トッカータ」。これがヤン・ヴァーツラフ・ヴォジーシェク [Jan Václav Voříšek] の幻想曲の次に演奏されたわけだが、この曲をこのプログラムに入れるには「ここ以外に入れようがない」という場所だった。
他の順番であれば、違和感を感じただろうと思う。

演奏についてだが、演奏者の持ち味が一番活きたように思われたのは、ノヴァークの「半音階的トッカータ」だった。
J. ノヴァークを聴くのは今回が初めてで、そもそもこういった系統は私自身あまり聴いているわけではないのだが、面白く聴けた。
この曲は、キラキラとして、部分的にはある程度次の展開の予測がつくものの、めまぐるしく場面が変わっていく。こういうものを面白く弾けるのであれば、「恐らくマルチヌー辺りを弾けば良い演奏が聴けるのでは」と思わせるものがあった。

スメタナの「モルダウ」ピアノ独奏版は、誰の編曲だったのだろう。終盤、大胆に音をいじっているところがあったあたりからすると、スメタナ自身のものだろうか?
実際のところは分からない。
ただ、スメタナがピアノ連弾版に編曲した、同じ「わが祖国」の終曲「ブラニーク」終盤には、第三者が同じ事をやったら「作品への冒涜だ」と言われかねないほどに原曲からガラ変している箇所があるので、そういうことから上の推論となった。
聴く限りは、オタカル・オストルチル(Z. フィビヒの作曲の弟子で、作曲家・指揮者として活躍した)がやったようなエゲツない編曲ではない。聴く者の心をおかしくさせるスメタナらしい狂気こそ持ち合わせないが、それでいて独奏で出来ることはほぼやり切っているのかなと思う。

フィビヒの「気分、印象と追憶」は、1曲1曲は短いものの曲数が多い。これは一定の演奏時間で、より多くの互いに異なるキャラ設定をしなければならないことを意味する。
なんせ376曲からの抜粋なので、選曲・曲順を決めるだけでも一大事で、その過程で個々のキャラ付けも考えなければならない。
志村氏が完全に現代音楽寄りというわけではない、という証拠だと思うが、このプログラムの中でも特に良い演奏をしたものの中には、これらの中でもしっとりした情感の曲があった。

全体的には、カチッと弾き切ろうというスタイルを感じた。
posted by D(各務) at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 演奏会・リサイタル
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