2011年12月18日

ヴァーツラフ・ハヴェル元大統領逝去

本日、逝去とのこと。
もう少し生きても良かったかな、という御年齢。

チェコスロヴァキアが無血で民主化した1989年末のビロード革命の中心人物だった。
チェコスロヴァキアの場合、同じ東側諸国でも、ルーマニアでチャウシェスク大統領(当時)が公開処刑になり、騒ぎを収めるための非常措置とはいえ処刑後の遺骸の映像までが全世界に配信された殺伐さとは対照的だった。
二十余年も前のことで、あまり具体的なことをはっきり思い出せないのだが、ビロード革命を伝えるニュースの中で、大統領となったハヴェル氏の姿を、他の東側諸国の民主化革命とは違った、特別な印象を抱いて観ていたような記憶がある。

ビロード革命のあと、最初の「プラハの春」音楽祭のオープニングで演奏される《我が祖国》はラファエル・クベリークが振ったのだが、既に引退していたクベリークを招くために尽力したのは、ノイマンとハヴェルだったとか。
このクベリークの話は、その演奏を収めたCDの解説に書かれていたことだが、何とも心憎い演出ではないか、と思う。
民主化後最初の「プラハの春」音楽祭で、この音楽祭を象徴する《我が祖国》を、共産主義化に反対して亡命した祖国の巨匠に指揮棒を振らせる。これだけでもう、「チェコスロヴァキアの共産主義体制は終わったのだ!」と雄弁に物語ることになるのだから。

多分、この後少しすると、関連書籍なども出版されるだろう。良さそうなものが見つかったら読んでみよう。



http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20111219k0000m030062000c.html
チェコスロバキア:ハベル元大統領死去 「ビロード革命」

 【ウィーン樋口直樹】旧チェコスロバキアの共産政権を非暴力で倒した「ビロード革命」(89年)を率いて民主化後の初代大統領となり、スロバキアの分離独立後はチェコ大統領を2期10年務めたバツラフ・ハベル氏が18日、チェコ北部の週末用の別邸で死去した。75歳だった。死因は明らかにされていないが、96年に肺がんの手術を受け、右肺の半分を摘出していた。チェコのメディアが伝えた。

 36年10月、首都プラハの名家に生まれ、軍への招集期間を挟んで劇団活動や演劇批評に打ち込む青春時代を送ったが、改革運動「プラハの春」(68年)を鎮圧した旧ソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍による侵攻後、反体制派運動へ身を投じるようになった。

 「プラハの春」が軍靴に踏みにじられ、演劇活動から閉め出されたハベル氏は77年、独裁的なフサーク体制の人権抑圧に対する抗議をしたためた「憲章77」の発起人となる。その後、何度も逮捕や投獄を繰り返したが、当局の圧力にもかかわらず「憲章77」の賛同者は増え続け、12年後の共産政権打倒につながった。

 89年12月、流血を伴うことなく、ビロードのようになめらかに進んだ民主化革命は「ビロード革命」と呼ばれた。その立役者がハベル氏だった。

 89年に大統領に選ばれ、就任後も民主主義と人権重視を訴えて東欧革命をけん引した。93年にスロバキアが分離独立後、チェコの大統領に選ばれ、03年に政界を引退した。

毎日新聞 2011年12月18日 21時09分(最終更新 12月18日 22時07分)



posted by D(各務) at 23:15| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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