2010年04月30日

スメタナ《我が祖国》ピアノ連弾版

スメタナのピアノ連弾用の作品(自作管弦楽作品からの編曲を含む)には、面白いものが幾つもある。
《我が祖国》もその一つで、原曲は有名だが、作曲者自身によるピアノ連弾版もなかなか面白い。
楽譜も出ていたようだが、今は刊行されていないようで、古書でもそうは行き当たらない。
そんな中、 Roman Veselý という編曲者("Prof." と称号がついているので、どこかの音大で教授をしていたのだろう)による、編曲楽譜が古書で売りに出されているのを見つけた。1曲づつバラになっていて、全6曲中、最も重要な第1曲「ヴィシェフラト」、最も有名な第2曲「ヴルタヴァ(モルダウ)」がないものの、その他は全て揃っている。
最も重要な2曲が抜けているのは問題だが、前に買って聴いた音源(ピアノ連弾版だが、但しスメタナ編)がとても気に入っており、いつか楽譜も入手したいと思っていたので、「でも、作曲者編じゃないしなぁ」と躊躇しつつも、結局手に入れた。

スメタナ編のピアノ連弾版を聴きながら、届いた楽譜のうち、終曲「ブラニーク」を読んでみた。
以前、フィビヒの《黄昏》Op.39 をピアノ連弾版に編曲した後、作曲者自身のピアノ連弾版編曲に出会ったが、結局、原曲が同じである以上、無理をする必要さえなければ、違う人が編曲しても、そうそう極端な違いは出ないことを知った。
違いが出るのは、無理をしなければいけなかったり、思い切ってバッサリやる必要があったり、編曲先の楽器編成に合わせて、楽器の特性を特に生かすために、何か特別なことをした場合だと思う。
...だから、このスメタナ編による音源と、 Roman Veselý による楽譜の場合にも、そんなに極端な違いはなかった。
「ブラニーク」は、大作の最後を飾るに相応しく、終盤大いに盛り上がる。
《我が祖国》にちゃんと興味のある人以外にはあまり出会う機会もない「ブラニーク」だが、演奏会でトリに置けば盛り上がる作品の一つであることは間違いない。
この終盤の幾つかの部分で、やはり盛り上げ方でスメタナ編には負ける部分があった。
スメタナの編曲が、必ずしも原曲の雰囲気をしっかり伝えているというわけではない。
原曲では終盤、金管楽器群による非常に目立つ音型があるのだが、これに隠れて殆ど目立たない音型を、スメタナ編のピアノ連弾版では、寧ろトレモロ風にしてまで、金管楽器群の音型より遥に目立たせている。そしてこれが何とも聴き映えがするのだ。
そこを、多分 Roman Veselý は原曲を意識して、あまり目立たないように書いたのだろう。

どういう編成への編曲をするにせよ、編曲者は、「新たに編曲した編成の楽器で、如何にその編成に相応しい音楽にするか」ということを頭の片隅において置かなければならない。
しかしそうは言っても、作曲者でなくして、たとえそのためであっても、たとえその曲の一部だけであっても、原曲と雰囲気を著しく異にする編曲は、恐らく世間からは受け入れられない。だからスメタナがやったような編曲は、 Roman Veselý を始め、この曲を編曲しようとする全ての良識ある編曲者にとっては、容易には踏み込めない領域だ。
である以上、この差は仕方がないとしか言いようがないのだが、こういう事実を目の当たりにするにつけ、スメタナのピアノ連弾作品の秀逸さを実感せざるを得ない。
posted by D(各務) at 23:33| Comment(0) | TrackBack(0) | ピアノ
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