2008年04月18日

Zd. Fibich 《ピアノ五重奏曲》ニ長調 Op.42

ある作曲家の作品との出会いを通して、あるジャンルの音楽に関心を持つようになることはままあるのではないかと思う。
私の場合、Fibichの作品によってそのようになったのは、ピアノ連弾と室内楽だった。
Fibichのピアノ連弾作品には、《ソナタ》変ロ長調 Op.28や、《バガテル》Op.19 等の良い作品が残っている。
これらの作品は、ピアノ2台のジャンルで稀な成功を収めたラフマニノフの、例えば《組曲第2番》や《交響的舞曲》等のような、「そのジャンルにおける、表現の可能性を開拓・追求した」というような種類のものではなく、ピアノ1台4手の編成を無理をせず有効に使いつつ、音楽的に優れているという種類の作品である。

Fibichが遺した室内楽作品は決して多い方とはいえないが、それでもピアノ四重奏曲 Op.11 を初めとする諸作品がある。
これらの中で編成が特異な作品を一つ挙げると、《ピアノ五重奏曲》Op.42 ということになるだろう。
この作品は、ピアノ・ヴァイオリン・クラリネット・ホルン・チェロの編成となっている。但し、クラリネットとホルンを第2ヴァイオリンとヴィオラに置き換えて演奏しても、作曲者の意図には反しない。
私の手許には、このピアノ五重奏曲を収録したCDが3枚(1枚目2枚目3枚目)あるが、1枚目は管なし、後の2枚は管楽器ありの編成である。
面白いのは1枚目とそれ以外の演奏解釈の差異。テンポからアーティキュレーションから何から、多過ぎるくらいの違いがある。2枚目と3枚目は、テンポが多少違うが(目立つことは目立つが、到底1枚目との比ではない)、「まあまあ、同じ曲だな。」と思える程度に収まっている。

何でこうも違うのか?
月並みながら、「演奏家者が違うから」というよりも「楽器編成が違うから」ではないだろうか。
弦楽器と木管楽器では、アーティキュレーションも違うし、音色・音量も違うし、出来るフレージングにも違いがあろう(長さの問題もあるし)。第4楽章にもホルンのかなり長いロングノート(10小節間タイでぶち抜き)があったりする。また、「管なし版」では埋没してしまう内声の動機が「管あり版」では明確にその存在を主張しているといった箇所もある(例えば、第1楽章の16,20,22の各小節)。弦同士だと基本的には音質が同化し易いから、物によっては目立たなくなってしまうというケースもあろう。

・・・まぁ、理由は他にも色々ありそうだが、結局は作品全体のバランスなどを考えて、同じ曲でも「その編成にふさわしい表現・可能な表現」ということで、編成によって異なる演奏解釈が採用された結果なのではないか、と思っている。
そう考えると、「管あり版」の方が比較的テンポが速目であることも、切分音のリズムがゴツゴツ(というか鋭く)していないことも大体納得がいく。ような気がする。

「同じ曲でも、その楽器に相応しい演奏解釈」というのは、ピアノでもピリオド楽器の世界に入ってくると色々言われるようになるわけだし、そんなに違和感のある話ではないかと。
posted by D(各務) at 02:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽
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