今日、本家のサイト(http://fibich.info/)が開設十周年を迎えた。
正直なところ、開設した当初は、これが十年も続くとは思っていなかった。
この当時、 Fibich の作品は、楽譜や音源などの情報が殆ど見当たらず、わずかな楽譜を手に入れるのにも苦労したことから、「こういうものがある」というのを示して、私と同じように探すのに苦労している人の一助としよう、というのをコンセプトにしてきた。が、それだけに、情報の少なさがネックになって、早々に頓挫するのではないかという気もしていた。
しかし、作品主題目録がSupraphon(現・ Editio Bärenreiter, Praha)から刊行された他、CDや楽譜もいろいろ刊行されて、タイミング的には恵まれていたと思う。
Fibichを通して、他のチェコの作曲家達の作品との出会いがあって、関心の対象がチェコ音楽、チェコ、チェコの歴史などにも広がったこと、更にそれがきっかけとなって、人とのいい出会いに恵まれたのは、幸せなことだったと思う。
2009年10月17日
2009年10月07日
PFN
というのは、昔在籍したことのあるピアノサークルだった。
とある騒動がきっかけで崩壊し、代表じゃなかった何人かの人達が中心になって、代表を一人に固定しない、つまり選挙で代表を選ぶサークルとして再出発したのがいつだったか・・・かれこれ6,7年くらい前のことだったように思う。
再建の方式が私の考えとは相容れないものだったので、当初は参加を渋っていたのだが、睡眠時間を削って個々の説得に当たっていた再建発起人達の熱意に理解を示す意味で、参加することにした。
が、結局方向性が受け入れ難い程に違っていたことが分かったため、半年ほどで退会した。
あれから、随分経った。
私が退会した後も会員であることを続けている知人から「解散の時期を模索している」と聞いたのが1,2年ほど前。
が、とうとう解散したらしい。
時々webは拝見していたが、今日見に行ったところ、なくなっていた。
whoisを引くと"Suspended" とあることから、既に "pfn.jp" ドメインの廃棄手続きを行ったのだろう。とすると、1年経てば誰でも取得出来るドメインになる。
「あの騒動が、これでやっと終わったのだ」というのが、正直な感想である。
とある騒動がきっかけで崩壊し、代表じゃなかった何人かの人達が中心になって、代表を一人に固定しない、つまり選挙で代表を選ぶサークルとして再出発したのがいつだったか・・・かれこれ6,7年くらい前のことだったように思う。
再建の方式が私の考えとは相容れないものだったので、当初は参加を渋っていたのだが、睡眠時間を削って個々の説得に当たっていた再建発起人達の熱意に理解を示す意味で、参加することにした。
が、結局方向性が受け入れ難い程に違っていたことが分かったため、半年ほどで退会した。
あれから、随分経った。
私が退会した後も会員であることを続けている知人から「解散の時期を模索している」と聞いたのが1,2年ほど前。
が、とうとう解散したらしい。
時々webは拝見していたが、今日見に行ったところ、なくなっていた。
whoisを引くと"Suspended" とあることから、既に "pfn.jp" ドメインの廃棄手続きを行ったのだろう。とすると、1年経てば誰でも取得出来るドメインになる。
「あの騒動が、これでやっと終わったのだ」というのが、正直な感想である。
2009年09月30日
FIBICH ALBUM I & II
最近、楽譜の古書を何冊か購入したのだが、そのうちの2つである。
チェコ音楽研究家のS先生宅で II の方は拝見したのだが、結局出物があるうちにということで手を出した。
Editio Supraphon社刊行の楽譜であるが、それぞれ、
I : Copyrightは1949年 Fr. A. Urbánek, Praha
II : Copyrightは1950年 Editio Orbis, Praha
となっている。
I は、彼の連作ピアノ曲集《気分、印象と追憶》からの抜粋、そして II は、FibichがMalátとともに編纂したピアノ教本からの抜粋となっている。
特に I については、《気分、印象と追憶》の全集と底本となる浄書譜が同じであると見られる他、後者には見られない運指が一部に示されている。但し自分で運指をある程度考えられる人には必要のないものだが。
あと、ペダル記号には複数の系統を認めることが出来る。これはおそらく、
・元々自筆譜の段階で既に指示されていた物
・校訂者の意見として付加された物
などがあると思われる。
チェコ音楽研究家のS先生宅で II の方は拝見したのだが、結局出物があるうちにということで手を出した。
Editio Supraphon社刊行の楽譜であるが、それぞれ、
I : Copyrightは1949年 Fr. A. Urbánek, Praha
II : Copyrightは1950年 Editio Orbis, Praha
となっている。
I は、彼の連作ピアノ曲集《気分、印象と追憶》からの抜粋、そして II は、FibichがMalátとともに編纂したピアノ教本からの抜粋となっている。
特に I については、《気分、印象と追憶》の全集と底本となる浄書譜が同じであると見られる他、後者には見られない運指が一部に示されている。但し自分で運指をある程度考えられる人には必要のないものだが。
あと、ペダル記号には複数の系統を認めることが出来る。これはおそらく、
・元々自筆譜の段階で既に指示されていた物
・校訂者の意見として付加された物
などがあると思われる。
2009年09月19日
ズデニェク・ザフラドニーク:K. H. マーヒの詩によるメロドラマ《5月》
D-Durにて。
メロドラマと言うと、これまではZdeněk Fibichのものしか聴いたことがなかったが、現在チェコではFibich協会による国際メロドラマコンクールが行われており、Fibichが復興したメロドラマというジャンル自体、一定の市民権を獲得しているということだろう。
この作品は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ハープ、ピアノと朗読の構成で、ピアノは作曲者自身による演奏だ。
朗読もFibichの作品のように一人ではなく、複数である。また、音響効果も使われている。
音楽にそれなりに重きが置かれている点を除くと、NHK-FMで放送していた(今でもやっている?)、「FMシアター」に大体イメージが近いのではないかと思う。
残念ながら、何を喋っているのか理解ができないが、分かればなかなか面白いかも知れない。
16:50 - Zdeněk Zahradník: Máj. Melodram na báseň K. H. Máchy
Recitují Gabriela Filippi, Ernesto Čekan, Filip Sychra, Lenka Novotná, Otakar Brousek st., Petra Doležalová, Vojtěch Babka, Daniela Bělohradská, Jan Bělohradský, Tomáš Bělohradský a Zdeněk Bělohradský, hrají Bohuslav Matoušek (housle), Josef Kekula /Vá/ (housle), Jan Pěruška (viola), Sebastian Toth (violoncello), Ivana Pokorná (harfa) a Zdeněk Zahradník (klavír).; Vyrobeno v EU.(68 min)
メロドラマと言うと、これまではZdeněk Fibichのものしか聴いたことがなかったが、現在チェコではFibich協会による国際メロドラマコンクールが行われており、Fibichが復興したメロドラマというジャンル自体、一定の市民権を獲得しているということだろう。
この作品は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ハープ、ピアノと朗読の構成で、ピアノは作曲者自身による演奏だ。
朗読もFibichの作品のように一人ではなく、複数である。また、音響効果も使われている。
音楽にそれなりに重きが置かれている点を除くと、NHK-FMで放送していた(今でもやっている?)、「FMシアター」に大体イメージが近いのではないかと思う。
残念ながら、何を喋っているのか理解ができないが、分かればなかなか面白いかも知れない。
16:50 - Zdeněk Zahradník: Máj. Melodram na báseň K. H. Máchy
Recitují Gabriela Filippi, Ernesto Čekan, Filip Sychra, Lenka Novotná, Otakar Brousek st., Petra Doležalová, Vojtěch Babka, Daniela Bělohradská, Jan Bělohradský, Tomáš Bělohradský a Zdeněk Bělohradský, hrají Bohuslav Matoušek (housle), Josef Kekula /Vá/ (housle), Jan Pěruška (viola), Sebastian Toth (violoncello), Ivana Pokorná (harfa) a Zdeněk Zahradník (klavír).; Vyrobeno v EU.(68 min)
2009年09月06日
マーク・アントニー・ターネイジ:「“トゥルー・ライフ・ストーリーズ(1995−99)”から “チューン・フォー・トオル”」
NHK-FMで、日曜日の18時から放送されている「現代の音楽」という番組で、「−音の現在(いま)〜マーク・アントニー・ターネイジ−(1)」と題して、ターネイジという作曲家の作品を放送していた。
時間の都合で最後の作品しか聴くことが出来なかったが、その作品が、武満徹の死を偲んで書かれたという、題記のピアノ曲だった。
所謂「現代音楽」で、聴き手がピアノから響く音響空間を感じ取る類の音楽だが、僅か2分4秒の短い演奏時間の中にも、単純な哀しみとも違う喪失感(「喪失感」は番組の猿谷紀郎氏の言葉だが、これ以上の表現はちょっとないと思ったので使わせてもらった)に包まれた静謐さを感じさせられた。
静謐さを感じさせる音楽というと、アルヴォ・ペルトの一連の作品が思い浮かぶが、ペルトのような、ミニマリズムや宗教的な雰囲気(キリスト教的な題材であったり、オルガン作品であったり)ということではない。
こういう作品なら弾いてみたいなぁという気もする。
楽譜、出てないかなぁ。。。
...と思ったら、あった!(音源も)
楽譜:"True Life Stories: Five Meditations for Solo Piano" (Schott)
音源: ONYX CLASSICS [ONYX 4005]
時間の都合で最後の作品しか聴くことが出来なかったが、その作品が、武満徹の死を偲んで書かれたという、題記のピアノ曲だった。
所謂「現代音楽」で、聴き手がピアノから響く音響空間を感じ取る類の音楽だが、僅か2分4秒の短い演奏時間の中にも、単純な哀しみとも違う喪失感(「喪失感」は番組の猿谷紀郎氏の言葉だが、これ以上の表現はちょっとないと思ったので使わせてもらった)に包まれた静謐さを感じさせられた。
静謐さを感じさせる音楽というと、アルヴォ・ペルトの一連の作品が思い浮かぶが、ペルトのような、ミニマリズムや宗教的な雰囲気(キリスト教的な題材であったり、オルガン作品であったり)ということではない。
こういう作品なら弾いてみたいなぁという気もする。
楽譜、出てないかなぁ。。。
...と思ったら、あった!(音源も)
楽譜:"True Life Stories: Five Meditations for Solo Piano" (Schott)
音源: ONYX CLASSICS [ONYX 4005]
asahi.com(朝日新聞社):「エリーゼのために」本当は「エリザベートのために」? - 文化
少し前の記事だが、おもしろい記事だったので転載しておく。
まだまだ最終決定打というところまではいかないようだが、従来の「『テレーゼ』の読み間違いで『エリーゼ』になった」説よりも、かなり納得度の高い研究結果ではないかと思ったが、どうだろう。
http://www.asahi.com/culture/update/0728/TKY200907270454.html
2009年7月31日8時0分
ベートーベン(1770〜1827)の名曲「エリーゼのために」は知人の妹に贈った可能性があると、ドイツの音楽研究者がこのほど明らかにした。これまではハンガリーの伯爵令嬢「テレーゼ」に贈られ、判読しにくい文字を読み間違えて「エリーゼ」になったとの説が有力で、独研究者の調査は「エリーゼ」論争に一石を投じそうだ。
ベルリン在住の音楽研究者クラウス・マルティン・コピッツ氏によると、「エリーゼ」は、ベートーベン作曲のオペラにも出演したテノール歌手ヨーゼフ・アウグスト・レッケルの妹で、独南部レーゲンスブルク出身のソプラノ歌手エリザベート(1793〜1883)の可能性が高いという。
コピッツ氏は5月中旬、彼女が住んだウィーンの教会の書庫で、彼女の第1子の洗礼記録(1814年)を発見。母親の欄には「マリア・エバ・エリーゼ」とあり、当時、彼女がエリーゼと呼ばれていたことがわかったという。
エリザベートは1807年、兄を追ってウィーンに住み、兄を通じてベートーベンと親交があった。10代後半の彼女の美しさは有名だった。1810年に作曲された同曲の正式名には「4月27日の思い出に」という記述があり、同年に彼女が一時、ウィーンを離れていたことから、コピッツ氏は「曲はエリザベートとの別れにちなんで作られた」との可能性を指摘する。
彼女は1811年にウィーンに戻った後、ベートーベンの友人でライバル関係にあった作曲家のヨハン・ネポムク・フンメルと結婚。エリザベートは夫とともに、死の床にあったベートーベンを訪問。彼女に自らの髪の一部と羽根ペンを手渡したという記録も残っているという。
「エリーゼが誰かという謎が解けて感激だ」と話すコピッツ氏は来年、今回の発見を論文として発表する予定だ。(ベルリン=金井和之)
まだまだ最終決定打というところまではいかないようだが、従来の「『テレーゼ』の読み間違いで『エリーゼ』になった」説よりも、かなり納得度の高い研究結果ではないかと思ったが、どうだろう。
http://www.asahi.com/culture/update/0728/TKY200907270454.html
2009年7月31日8時0分
ベートーベン(1770〜1827)の名曲「エリーゼのために」は知人の妹に贈った可能性があると、ドイツの音楽研究者がこのほど明らかにした。これまではハンガリーの伯爵令嬢「テレーゼ」に贈られ、判読しにくい文字を読み間違えて「エリーゼ」になったとの説が有力で、独研究者の調査は「エリーゼ」論争に一石を投じそうだ。
ベルリン在住の音楽研究者クラウス・マルティン・コピッツ氏によると、「エリーゼ」は、ベートーベン作曲のオペラにも出演したテノール歌手ヨーゼフ・アウグスト・レッケルの妹で、独南部レーゲンスブルク出身のソプラノ歌手エリザベート(1793〜1883)の可能性が高いという。
コピッツ氏は5月中旬、彼女が住んだウィーンの教会の書庫で、彼女の第1子の洗礼記録(1814年)を発見。母親の欄には「マリア・エバ・エリーゼ」とあり、当時、彼女がエリーゼと呼ばれていたことがわかったという。
エリザベートは1807年、兄を追ってウィーンに住み、兄を通じてベートーベンと親交があった。10代後半の彼女の美しさは有名だった。1810年に作曲された同曲の正式名には「4月27日の思い出に」という記述があり、同年に彼女が一時、ウィーンを離れていたことから、コピッツ氏は「曲はエリザベートとの別れにちなんで作られた」との可能性を指摘する。
彼女は1811年にウィーンに戻った後、ベートーベンの友人でライバル関係にあった作曲家のヨハン・ネポムク・フンメルと結婚。エリザベートは夫とともに、死の床にあったベートーベンを訪問。彼女に自らの髪の一部と羽根ペンを手渡したという記録も残っているという。
「エリーゼが誰かという謎が解けて感激だ」と話すコピッツ氏は来年、今回の発見を論文として発表する予定だ。(ベルリン=金井和之)
2009年08月14日
2台8手連弾
すぐに使う訳ではないのだが、前に買ったピアノ2台8手連弾の楽譜を引っ張り出してきた。
・スメタナ:ロンド ハ長調
・エルガー:威風堂々
スメタナのロンドは、Studio MATOUŠ から出ている音源で聴いて知ったもの。このディスクに入っている他の面白過ぎる作品のせいで影が薄い存在なのだが、かと言って退屈なわけではなく、このジャンルの入門編としては悪くないかもしれない。
エルガーの方は、私だと暗譜しないとちょっと辛いのと、アウフタクトの喰い付きで呼吸の合い具合が問われるものの、リズム等々は別にややこしくない。
#が、覚えないと弾けないのだ。(^^;<細かい音符が苦手
・スメタナ:ロンド ハ長調
・エルガー:威風堂々
スメタナのロンドは、Studio MATOUŠ から出ている音源で聴いて知ったもの。このディスクに入っている他の面白過ぎる作品のせいで影が薄い存在なのだが、かと言って退屈なわけではなく、このジャンルの入門編としては悪くないかもしれない。
エルガーの方は、私だと暗譜しないとちょっと辛いのと、アウフタクトの喰い付きで呼吸の合い具合が問われるものの、リズム等々は別にややこしくない。
#が、覚えないと弾けないのだ。(^^;<細かい音符が苦手
2009年08月13日
asahi.com(朝日新聞社):明治学院大名誉教授の平島正郎さん死去 - おくやみ・訃報
中学か高校の頃に、この人の著作「ドビュッシー」を借りて読んだ。
借りたのは市民図書館だったか、学校の図書館だったか、ちょっと記憶が定かじゃない。
あの当時、「結構古い本だ」と思って読んだ記憶があるので、正直なところ「まだ80代だったのか」と思った部分もある。
ピアノを再開したのが中学の頃だったが、そうなるきっかけというか、初めて好きになったピアノ曲がドビュッシーだったので、そういう向きからの関心があって読んだのだった。
「ドビュッシー」姓の由来についても確かこの本で触れていたんじゃなかっただろうか。
ご冥福を。(_ _)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0811/TKY200908110355.html
平島 正郎さん(ひらしま・まさお=明治学院大名誉教授・音楽学)が10日、拡張型心筋症で死去、82歳。葬儀は13日午後1時から東京都港区芝公園3の6の18の聖アンデレ教会で。喪主は妻葉子(ようこ)さん。
フランス音楽史が専門で、著作に「ドビュッシー」などがある。
借りたのは市民図書館だったか、学校の図書館だったか、ちょっと記憶が定かじゃない。
あの当時、「結構古い本だ」と思って読んだ記憶があるので、正直なところ「まだ80代だったのか」と思った部分もある。
ピアノを再開したのが中学の頃だったが、そうなるきっかけというか、初めて好きになったピアノ曲がドビュッシーだったので、そういう向きからの関心があって読んだのだった。
「ドビュッシー」姓の由来についても確かこの本で触れていたんじゃなかっただろうか。
ご冥福を。(_ _)
http://www.asahi.com/obituaries/update/0811/TKY200908110355.html
平島 正郎さん(ひらしま・まさお=明治学院大名誉教授・音楽学)が10日、拡張型心筋症で死去、82歳。葬儀は13日午後1時から東京都港区芝公園3の6の18の聖アンデレ教会で。喪主は妻葉子(ようこ)さん。
フランス音楽史が専門で、著作に「ドビュッシー」などがある。
2009年08月07日
雑記
最近、本家サイト の更新状況は、あたかも単なる「お買い物履歴」のような体たらくでもあるが、一方、水面下では色々資料を読んだり、新しい頁の準備やらをしてないわけではない。
今取りかかっているもののうち、一番大きな頁になりそうなものは、Fibichの様々な側面について述べる内容なのだが、頁の構成上、内容を幾つか取捨選択しなければいけないこともあるし、記す内容についても色々とウラを取る作業もあるので、まだ暫く時間が掛かる。
こうしてFibichのことばかり書いているけれども、実は彼一人を相対化するためには、この時代(19世紀後半)の中欧地域の社会情勢や他の作曲家たちのことなどもたくさん知らなければいけないので、なかなか表に出せるものは少なかったりもする。
尤も私の場合、「チェコ語が満足に読めない」(但し努力中)は、それ以上に深刻な問題であるけれど。
よくビジネス書などで「T字型人間になれ」とあるが、結局この分野でも、気がついたらそういうことになっていそうだ(笑)。
今取りかかっているもののうち、一番大きな頁になりそうなものは、Fibichの様々な側面について述べる内容なのだが、頁の構成上、内容を幾つか取捨選択しなければいけないこともあるし、記す内容についても色々とウラを取る作業もあるので、まだ暫く時間が掛かる。
こうしてFibichのことばかり書いているけれども、実は彼一人を相対化するためには、この時代(19世紀後半)の中欧地域の社会情勢や他の作曲家たちのことなどもたくさん知らなければいけないので、なかなか表に出せるものは少なかったりもする。
尤も私の場合、「チェコ語が満足に読めない」(但し努力中)は、それ以上に深刻な問題であるけれど。
よくビジネス書などで「T字型人間になれ」とあるが、結局この分野でも、気がついたらそういうことになっていそうだ(笑)。
2009年08月03日
《ヴィーチェスラフ・ノヴァーク・主題と文献カタログ》
前々から欲しいと思っていた、ノヴァークのカタログが到着した。
版元は "Editio Praga"と書かれているが、現在出版しているのは実はEditio Bärenreiter, Prahaである。
Fibichの同様のカタログと比べて、各作品の主題は少し長めに引用されている点はよいものの、本全体ではだいぶボリュームが少なめな印象。どうやら作曲家の生涯などの記述が英語しかないなど、幾つかない分だけ、ボリュームも少なくなっているということらしい。
#それにしても、その差300頁にも及ぶので、かなりな違いではある。
いずれにせよ、これでノヴァークについて知りたいことの多くが分かるようになるだろう。
めでたしめでたし(ホントか?)。
版元は "Editio Praga"と書かれているが、現在出版しているのは実はEditio Bärenreiter, Prahaである。
Fibichの同様のカタログと比べて、各作品の主題は少し長めに引用されている点はよいものの、本全体ではだいぶボリュームが少なめな印象。どうやら作曲家の生涯などの記述が英語しかないなど、幾つかない分だけ、ボリュームも少なくなっているということらしい。
#それにしても、その差300頁にも及ぶので、かなりな違いではある。
いずれにせよ、これでノヴァークについて知りたいことの多くが分かるようになるだろう。
めでたしめでたし(ホントか?)。
